新築のM寺さんの会館。
筑間宗融先生の「愛楽仏法味」のお軸の掛かった座敷で、テレホン法話の録音。
テレホン法話より 「ごはんができたよ。」
修学旅行で京都を訪れた高校生の話です。
先生方は、「自由見学やけど時間までに帰ってこなかったら晩メシ抜きやぞ。」と、こどもたちをホテルから送り出したのだそうです。約束の時間に、余裕を持って帰ってくるこどもたち、遅れてはいけないとタクシーに乗ってきたこどもたち、ほとんどは時間厳守だったそうです。ところが数人が、時間をずいぶん過ぎても帰って来ませんでした。遅刻したら叱られるばかりでなく、夕飯も食べられないと考えたこどもたちは、遅刻ついでにゆっくり夕飯を食べていたらしいのです。なんともちゃっかりした高校生です。
ところで、もし彼らが単に遅刻して帰ってきた場合、彼らはホテルの夕食を食べることができたのでしょうか。それは、先生の腹づもりひとつのことではありますが、ただひとつ確実に言えることがあります。遅刻しようがしまいが、ホテルの夕食は彼らの分もちゃんと作ってあったということです。
懐かしく思い出す自分がこどもの頃の情景があります。
日が暮れても川や田んぼで遊び続けるボクたちを、誰かのおばあちゃんかおかあさんが呼びに来るのです。もう帰らないと叱られるかなと思いながら、それでもまだまだ遊び足りなくて、家に帰らないボクたちを、『もう帰っておいで。』と迎えに来るのです。川で魚を捕まえていても、田んぼで三角ベースをしていても、なかよくしていようがケンカをしていようが、『ごはんやよ。』と誰かが呼びにくるのです。
ボクたちがどこでどうしているかにかかわらず、家ではもうごはんができているわけです。
「ごはんができたよ。」と呼ぶ声に、ボクたちは「すでにお浄土へ迎える準備は整えたよ。安心して日暮らしをしなさい。」と呼びかけてくださるほとけさまの慈悲のこころを重ねて聞いているような気がします。
よい子しか呼んでもらえないのならつらいけど、「ごはんができたよ。」と呼ぶ声は、すでに十方に響き、もうごはんできちゃってるんですよね。
合掌
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