今年の梅干し -しゃぼん玉の意味-
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そろそろ旬は過ぎようとしていますが、筍や蕨の季節です。
Y家のご法事のおときに、当家お手間入りの筍の煮付けや蕨のおひたしの鉢盛りが並びました。

今年、当地でよく聞くことのひとつ。

  筍や蕨がでない。

たまたま裏年ということかも知れませんが、誰もが"なんかヘンな年だ"とおっしゃいます。ボクも、いい陽気だと思うのですが、なんとなく"不順"とも感じます。


梅がたくさんの実をつけたのですが、少し大きくなったところでほとんど落ちました。

玄関脇の土の上に転々と転がるまだ熟していない梅の実を見て、童謡『しゃぼん玉』のことを思い出しました。


  しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた

  しゃぼんだまきえた とばずにきえた やねまでとばず とちゅうできえた

  かぜかぜふくな しゃぼんだまとばそ


幼い我が子を亡くした野口雨情の悲しみがうたい込まれた詩であるというのが定説のようですが、確証はないらしく、「間引き」をうたったものであるという意見もあります。


わずかに残った梅の実を見あげ、あの梅は梅干しになるために必死で枝にしがみついているのだろうか、ボクの使命はあの梅をおいしい梅干しにすることなんだろうかなどと、しばし詩人気分でいのちの儚さに酔ったのであります。


今日の岐阜の最高気温31℃。情緒がないほどに暑かったです。




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by e.wash-r | 2009-05-11 00:13 | ふるさと | Comments(2)
Commented by renge at 2009-05-11 11:41 x
暑い日でしたね。ちょうど昨日はSS寺さんの行事予定『お待ち受け法要:法話楽団『迦陵頻伽:かりょうびんが』を見て「お待ち受け法要」って一般の人も参加できるの?「法話楽団『迦陵頻伽」って?と検索中に、あるお寺さんのHP・法話で童謡『しゃぼん玉』が書かれていました。そこには雨情さんの悲しみの他に『風かぜ吹くな…』の風とは、『ひとたび**の風吹けば、さっきまで開いていた眼即座に閉じ…』と教えの一説?が書かれていました。(キチンと引用したいのですが、そのHPに辿り着けなくて)
毎日新聞のおくやみ欄(亡くなった方の年齢)を見ては、我が身も何時までと言う保障の無い命なんだなぁ…と。
偶然に同じ日の『しゃぼん玉』で、コメントさせて戴きました。
Commented by e.wash-r at 2009-05-12 00:11
『しゃぼん玉』を引用された法話を、今までに何度か聞いたことがあります。お子さまを亡くされた野口雨情さんの悲しみを通してのお話しでした。

蓮如上人が『白骨の御文章』を書かれた背景も、若い娘さんが亡くなられたことだと言われています。(諸説あり)

生の儚さをうたった歌として、ボクも味わっていた部分があるのですが、今回、『しゃぼん玉』は「間引き」をうたったものであるという説があることを知り、今までとは違う思いが湧いてきたような気がしています。

うまく言えませんが、例えば生の儚さへの悲しみというよりは、生そのものへの悲しみというかよろこびというか、生きるということ・わたしが生きるということの意味を考えずにはおれないなあと思ったのです。

やっぱり阿弥陀さんです。


お久しぶりです。
いよいよ法座シーズンですね。いっしょにお聴聞しましょう。


rengeさま


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