午前中、Hさんと坊守といっしょに境内の掃除をしました。なんとなく楽しいので、草刈り機で芝刈りをしていると、C寺さんの総代さんと坊守さんが、建築業者さんといっしょに当寺の堂宇を見学にいらっしゃいました。
「住職さん、たいへんやねえ。」とC寺総代さん。またしても運のいい住職です。
お相手をしているうちにお昼も過ぎてしまい、時間を勘違いしたこともあって、明照寺さんで開催されている『岐阜やさしい真宗講座』に遅刻。講義中の緊張感のある本堂にもぐり込みました。
講義は、『三部経』について。地理的実在でも静的感覚的実在でもない、宗教的実在としてのお浄土のお話しでした。
業(おおよそ行いということ)の因と果の関係から言えば、地獄の因は悪業であり、浄土の因は清浄業です。清浄なるものは仏のみ。宗祖は、『観無量寿経』により、お浄土のことを、"「清浄業処」といふは、すなはちこれ本願成就の報土なり"と述べておられます。
お浄土の因に悪業の主(あるじ)たる"わたし"の入る余地は全くないということです。
次回の講義は、9月8。どなたでも聴講できるそうです。
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岐阜やさしい真宗講座