筑波大学名誉教授、今井雅晴先生の『親鸞聖人と恵信尼さま-越後から関東、そしてその後に関するご夫婦のあり方-』と題する講義。
親鸞聖人のご生涯について、壮年会の例会でお話しするご縁が近いこと、親鸞聖人帰洛の途についてまとめなければならない原稿があることもあり、ある意味、実利?も求めて、興味深く聴講しました。
親鸞聖人の越後・関東時代における、時代背景や当時当地の文化・風俗風習等を検証することは、信仰の上の宗祖親鸞聖人を、社会科学的に見つめることです。信仰上の話と史実との違いを見つけることに意味があるのではなく、史実から宗祖の信仰のお姿をたずねることに、信仰上の意味があります。少なくともボクはそう言うスタンスで講義を聞きました。
断片的ながら、講義メモ 当時の時代背景
・越後から関東への途上、太子堂はなかった。
・稲田は当時宗教的な土地であった。
・貴族の常識として、阿弥陀信仰(来世)と法華信仰(現世)。
・御堂(みどう)は、阿弥陀仏を安置した堂宇を指す。
・「夢」は現実と同等の現象。
・「ごめん」と「ありがとう」は具体的行為をともなう。「報謝」は行動であった。
・神社と寺は共存。
・基本的に墓に埋葬する習慣はない
等々。(まちがいがあったらご指摘を)
妻帯を認めないはずの僧に嫁ぐということを、中流貴族であった恵心尼さまの家族が許しサポートさいたということは、当時すでに、いくらか僧の妻帯の現実があったか、現代のように本音と建て前をわけて僧の妻帯が許されていたのでは、というお話しに、おおらかな平安・鎌倉の時代を想像しました。
続きの講義が、冬にあるとのこと。
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