濃尾平野北縁・美濃山地の低山地帯は、松茸の産地として有名でした。年配の方は、時々、往年の松茸のことを、今のボクたちが想像もできないような表現で懐かしがります。
「お正月前は、塩漬けにした松茸しか食べるものがなかった。」
「松茸はいくつでも焼いて食べた。そんなにおいしいモンでもない。」
「山では松茸を踏まないように歩くのが難儀だった。」・・・等々。
松茸が採れなくなって、およそ30年。原因は、様々に言われています。
・伊勢湾台風・室戸台風による倒木被害等、赤松林の荒廃。
・まつごかき(松の落葉を集めること)・下草刈りなどの山の手入れ・管理不足。
・松食い虫による赤松の枯死。・・・等々。
かつては、どこも赤松の林だったので、秋の紅葉・春の新緑の美しさをあまり感じなかったように思います。初冬を迎え、この頃、山の雑木の紅葉がきれいです。当地の低山は赤松から落葉広葉樹の山に変わりつつあります。
この地域の極相は、金華山に見られるような、椎の木などの常緑広葉樹林です。江戸時代以降の人口の急激な増加により、燃料として、里山の木(当時はたぶん常緑広葉樹)は、ことごとく伐採され、その後二次林として最初にできたのが、赤松の林なのだそうです。
今、再び極相に移り変わる段階として、赤松は枯れ、松茸が採れなくなって、落葉樹が育っています。そして、いずれはそれらも、極相の常緑広葉樹に変わっていくのでしょう。
さて、私説です。
『紅葉したの山を見て、何となく東北の深い山を想像しました。ひょっとすると極相へ向かう途中の落葉広葉樹の山は、クマにとって、住みやすい場所なのではないかと思うのです。落葉広葉樹の山は、赤松の林や植林した山よりずっと、クマを涵養する能力を持っているのではないか、クマはそれを知っているのではないかと・・・。』
ところで、「涵養」ということばが好きです。広辞苑によると、「自然に水がしみこむように徐々に養い育てること」とあります。お寺の形容詞にしたいものです。
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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