死を覚悟した友人Nを見舞う。
一日ひとりずつ、三人のこどもたちに、それぞれ思いを伝え終わった直後だったらしい。
付き添いの奥さんとNは、今さらながらデートでもしているかのように初々しかった。
濃密な時間のほんの少しを分けていただいているような気がした。
枕元に、「ごえんちゃん、はやくよくなってね」と書いた千羽鶴があった。
日曜学校のこどもたちがつくってくれたのだという。
20年前、Nは入寺したときから、村のこどもたちに"ごえんちゃん"と呼ばれている。
「住職継職法要のときと同じようなもんだから・・・」
2年前、住職継職法要を手伝ったボクに、Nは葬儀のこともたのむと言った。
最後はあらたまった口調だった。
一時"激しく病魔に冒される"肉体とともに精神も限界だったと言うN。
長い付き合いの中で、ボクははじめてNの弱音らしきことばを聞いたような気がする。
弱さを露呈した人間は強い。
辛いのにいい時を過ごした。
Nもそうだったと思う。
動くことができないNは、夏休みのこどもたちをどこへも連れて行ってやることができない。
Nは動かない身体で病院の中で花火の見える部屋を探しだし、提案する。
「花火を見よう。」
病院の唯一花火の見える場所は、花火の夜、縁日のように賑わったそうだ。
Nは、家族といっぱい集まってくださった看護婦さんや女医さんに囲まれて花火を見たらしい。
映画のワンシーンか竜宮城のようだ。
うれしそうに話すNに僧侶として言いたい。
葬儀はともかく、そういうときにも呼んでくれ!
【
1年前の今日のblog 】
【
2年前の今日のblog 】
【
3年前の今日のblog 】
【
4年前の今日のblog 】
【
5年前の今日のblog 】