暑さが一段落したころから、つづけて4人の方々が訪ねていらっしゃいました。
いわゆるアポイントメントがあり、いわゆる菓子箱を持っての来訪です。いわゆる難問を抱えての来訪です。
難問を抱え、選んでお寺に来てくださったということ、とてもうれしく思っています。でも、お話しを聞くだけで、抱えていらっしゃる難問に具体的にお応えすることはできませんでした。
たぶん、難問は解けません。もし解けたとしてもそれは答えかどうかわかりません。難問そのものが不条理かも知れません。それに、難問は次から次へと出てきます。
お坊さんの中には、"現実の人々の苦悩に応える"のが僧侶のつとめでありお寺の役割だという方々もおみえになりますが、ボクには"そういうこと"はとてもできないと思っています。
悩みを語るなとか、お寺に来るなというのではありません。むしろ苦悩のままにお寺に来て欲しいのです。お寺というのはそういうところだと思います。
・・・あみださまのおしごと。
注 難問を解くことではないですよね。難問に苦悩する私をめあてとしてくださるんですよね。
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