晩年の恵信尼さま -ゑしんの里 上越市板倉-


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関東から京都に帰られた親鸞聖人と離れて、恵信尼さまは越後で晩年を過ごされたといわれています。

恵信尼さまのお手紙(恵心尼文書)のなかの「七尺の五重塔」「とひたのまき」の語より、板倉地区のこぶしの古木のもとにあった五重塔が恵信尼さまが造られたものと推定されて以降、上越板倉は恵信尼さま顕彰の地となりました。

五重塔に隣接する『ゑしんの里記念館』は、親鸞聖人の越後流罪800年の節目の事業として建立されました。板倉出身の佐川急便創業者佐川清氏をはじめとする佐川一族の方々、旧板倉町の方々の懇念と懇志に依るところが大きいと聞きました。

法事のお斎の会場としても利用されているそうです。

晩年の恵信尼さま -ゑしんの里 上越市板倉-_b0029488_20555119.jpg恵信尼さま顕彰の地

国府別院飛地境内
晩年の恵信尼さま -ゑしんの里 上越市板倉-_b0029488_20561526.jpg恵信尼さまゆかりの五重塔
晩年の恵信尼さま -ゑしんの里 上越市板倉-_b0029488_20564399.jpgゑしんの里
晩年の恵信尼さま -ゑしんの里 上越市板倉-_b0029488_2191530.jpg座敷

法事のお斎もできます






晩年の恵信尼さま -ゑしんの里 上越市板倉-_b0029488_20573180.jpg

親不知子不知の海岸をぬけ、富山から東海北陸道を経て岐阜へ。
一泊二日、北アルプスをぐるりと一周したおおよそ900km、S師との相変わらずの旅でした。




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by e.wash-r | 2010-10-04 20:08 | おまいりにて | Comments(0)
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