黒野組僧侶研修。「信心」について、山田行雄先生の講義を聞きました。
通仏教の上で説かれる教・行・証(三法)の行としての称名と比べて、宗祖が説かれる教・行・信・証(四法)の行としての名号・称名のお話。
信を中心として、信前の行は名号、信後の行は称名(報恩行)。
他力儀のうえでは、信前の称名はない。
宗祖は、名号(阿弥陀さまのおはたらき)を、我が行とする称名を悲嘆、傷磋された。
まちがって聞いていないといいんですが、まちがっていたらご指摘を。
7月、黒野組の「法話会」において、順番ということでお取り次ぎをすることになっています。そのとき、中津の照雲寺で聞いた松島善譲和上と六連島のお軽さんの会話をお伝えしようと思っていました。今日の講義を聞いて、なんとなく法話の組み立てと合法の見通しができたように思います。
中津を訪ねたときの、当時のメモより
山口おかる同行、歩いてお聴聞、お墓で野宿しながら、
和上 「ようおいでになった。お念仏申されよ。」
お軽さん 「わたしには先生のようなお念仏がでません。空念仏です。」
和上 「空念仏で結構。空のお念仏にわたしのはからいを入れんように」
たまに勉強すると、すぐ自慢したくなるんですよねえ。
本日は自己満足のUP。うれしいということです。
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