美術室
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次女が言ったらしい。
「最近、父ちゃんのblog、昔の話が多いよねえ。父ちゃん、死んじゃうんじゃないかなあ。」

確かに、昔のことを書いている。遺書や遺言のつもりはないが、なんとなく・・・。


RCサクセションの『ぼくの好きな先生』は美術の先生だ。ボクにも、好きだった美術の先生がいた。ムーミンに出てくるスナフキンみたいな講師のT先生。

美術科の先生からしても、普通科の生徒からしても、美術の授業は、ちょっとした息抜きみたいなところがあった。それをお互いに心得ていて、いつも心地よく美術室特有の時が流れていたように思う。

なぜなのか、いつからなのかよく憶えていないが、T先生と仲良くなった。

あるとき、T先生は、授業中なのに「ちょっとこい」といって、ボクを美術準備室に招いてくれた。美術準備室には、先生たちのわけのわからない世界があった。「鬼ヶ島」と呼ばれた体育教官室も好きだったが、そんな美術準備室も好きだった。

ボクが呼び込まれた美術準備室で先生方が必死になっていたのは、竹とんぼ作り。滞空時間を競うんだと言って、先生たちは、小刀で竹を削っていた。T先生は、竹片をボクに渡して、何日か後に勝負しようというようなことを言った。ボクは、これは美術じゃなくて工学でしょと思った・・・。

数日後、T先生と中庭で遊んだ。ボクの惨敗。

当然だ。楽しんだ方が勝つに決まっている。ボクには楽しむ余裕がなかった。

よくわからないけど、こんなこともあって、ボクはT先生がやっている喫茶店にも遊びに行くようになり、美大への進学も何となく考えるようになった。

3年の春、取り寄せた美術系の予備校の資料を持って下宿から家に帰り、父に話した。
「美大に行きたい。たぶん今年は受からないので、受かるまで予備校に行かせてほしい。」
父にあらたまって何かを頼んだのはこのときしかないと思う。

父の答えは、むちゃくちゃ以外だった。自分も美大に行きたかったが許されなかったと。

そのことばを聞いたとき、愕然と夢が壊れた。父は美大に行くなと言ったわけではなかった。ボクにとっては、父と同じことを考えていたということが、とにかくショックであり、嫌悪すべきことだった。

ボクは、キッパリ方向転換した。

美大へ進む道を諦めたのではなく、要するに、父と同じ道を進むことを嫌っただけのことだ。一大決心をしたような気になっていたが、所詮その程度のことだったといえる。



ささいなことであっても、狂気じみた覚悟みたいなものが大切なのかもしれない。楽しさというのは、たぶんそういうところにあるのだと思う。

「竹とんぼ」で惨敗したことは、はそういうことだったような気がする。









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by e.wash-r | 2011-10-11 04:40 | 溺レル | Comments(2)
Commented by 竹蓮母 at 2011-10-14 00:42 x
なんだかドラマですねえ…
映像が勝手にテレビ画面みたいに浮かんできました
Commented by e.wash-r at 2011-10-14 02:47
「ひまわり」のこと調べていたら、なんとなく思い出すものがあって・・・。

バブルのはじまる頃です。おおらかだったですね。


竹蓮母さま
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