廃仏毀釈② -東白川村・四つ割りの名号碑-
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加茂郡東白川村には、寺がない。全国の自治体の中で、唯一だそうだ。慶応4年(1986)からはじまった苗木藩の廃仏毀釈により、村内のすべての寺が消えた。

その東白川村の役場に、『四つ割りの名号碑』はある。


『四つ割りの名号碑』縁起 (私情もこめて)

廃仏毀釈が行われる前、現東白川役場の場所には、常楽寺があり、山門脇には「南無阿弥陀仏」の六字が刻まれた『名号碑』がありました。

『名号碑』は、村内白川の釜淵から運ばれた青石で高さ約2.5m。
苗木藩主遠山家の菩提寺である雲林寺住職・逐安の「南無阿弥陀仏」の揮毫を、信州高遠の石工伊藤傳蔵が刻んだものです。
天保6年(1835)7月、建立。
深く刻まれた「南無阿弥陀仏」の一文字には、一升の米が入ると言われ、地元では「ごいっしょうさま」と愛称されたそうです。

明治3年(1870)、苗木藩の廃仏毀釈の波は、東白川村のすべての仏教荘厳を蹂躙しました。
常楽寺は廃寺、『名号碑』も砕くよう命がでました。村人は、『名号碑』を刻んだ石工伊藤傳蔵を高遠から呼び寄せます。期すものがあったと想像できます。
傳蔵は、藩の「粉々に砕け」の命に、「自分は高遠の石工、苗木藩のものではない」と応え、涙の鏨を打ち、『名号碑』をきれいに四つ割りにしたといわれてます。
四つ割りされた『名号碑』は、「南無阿弥陀仏」の文字を伏せて、畑や池に離散しました。

昭和初期、村内に悪疫が流行し、「名号碑埋没のたたり」といううわさが流れました。このことを契機に、医師安江浩平の主唱、消防組14人が世話人となり、散逸した四つ割りの名号の再建がはじまりました。

昭和10年(1935)8月1日、「名号碑」は、東白川村役場内に無事再建され、慶びのうち再建の法要が営まれました。以降、毎年8月15日には、『四つ割りの名号碑』の前で、盂蘭盆会がおつとまりになるそうです。

『四つ割りの名号碑』は、廃仏毀釈の歴史を残す、寺のない村の信仰の象徴です。


『四つ割りの名号碑』におまいりした。念願だった。

悲しい歴史を秘めた名号碑ではあるが、前に立つと寂寥感はなかった。むしろ清々しさがあった。廃仏毀釈の嵐の中で、そして嵐の後も、南無阿弥陀仏は働き続けていらっしゃったということだと思った。やっぱり阿弥陀さんである。

廃仏毀釈は、ある種のパワーゲームだったのだと思う。政治、経済の世界では、常に起こりうることだ。

想像するに、明治初期、寺・僧侶は、政治的・経済的に権威であり特権を有していたのだと思う。寺が、信者との関係において、真に宗教的であったかどうか、そこに着目したい。

苗木藩の神葬改宗の命により、寺は葬儀という信者との関係を失うと同時に経済的基盤も失うこととなった。葬儀を失った寺は弱かったのである。信仰の問題ではなかったのかもしれない。

そこに廃仏毀釈というパワーゲームである。寺に勝ち目はない。歴史に翻弄され消えていったのも頷けるような気がする。

仏教が政治のパワーゲームに飲み込まれた例は少なくない。しかし、パワーゲームに負けても、信仰は消えることはない。

薩摩の隠れ念仏。
一向一揆後の北陸。
石山戦争敗戦の本願寺。

すべてパワーゲームには負けている。

チベット問題もそうだ。人民解放軍はチベットを制圧した。ラサ侵攻を指示した毛沢東は、「ダライ・ラマを逃したなら、戦いはこちらの負けだ」と言ったという。数回の会見で、ダライ・ラマが"芯の芯まで宗教者である"ことを感じ、そのことを懼れての発言と推測する。チベットはパワーゲームに負けた。しかし、ダライ・ラマが「仏陀の弟子、みおしえに生きるただひとりの男」であるかぎり、チベットはチベットだ。

苗木藩の廃仏毀釈を思うとき、やはり、問題は、仏教は民衆の中に生きていたのかということのような気がする。

翻って、今を思う。寺は真に生きているか?

『四つ割りの名号碑』に光明を見、大きな使命をいただいた苗木、東白川の旅だった。





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by e.wash-r | 2011-11-03 00:36 | 智慧と慈悲 | Comments(2)
Commented by 雨伝 at 2011-11-04 10:40 x
ささやかな休日のお楽しみ、、徹夜までして動機付けと意味付けをして頂きありがとうございました。

チョッとした興味から現地を訪れ、いろいろ考えさせられながらも、向かうべきベクトルの更に確認が出来たように思います。

また、時間を作って未知の現地を捜してみましょう。
Commented by e.wash-r at 2011-11-04 16:17
今回も、恵まれた旅でしたね。いつも、ほんとうに尊い縁に遇わせてもらっています。お誘いに感謝です。

お寺の屋根が見えない風景、ということを考えさせられましたが、苗木から加子母にかけての阿寺断層沿いの広い谷は、気持ちよかったです。

気がつけば、世俗の中の仏教の深淵に触れているような、そういうフィールドワークがしたいですね。また、行きましょう。


雨伝さま


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