墓標
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A村。土葬の習慣がなくなって10年ほどが過ぎました。火葬になった今も、土葬のころと同じように、村のお墓に墓標をたて、納骨をするという習慣は続いています。

Tさんの三七日。村の方が準備された墓標に、法名を書きました。


縁側に墓標。仏間にはいると、Tさんの高校生の娘さん、奥さん、ご兄弟さん方が、墨を擦りながら待ってみえました。

「こんなに近くで墓標を見たのはじめて。」
「墨を擦ったのは何十年ぶり。時間がゆっくり流れている感じ。」
「あらためて、ゆっくり、みんなで送っている気がするね。」


儀式が醸しだす何とも言えない時間と空間。現実として、長い時間をかけて死を受けとめ、ほとけさまとのあたらしいおつきあいをはじめていく、そういう営みのなかでは、ひとは鷹揚と生きていていいのだと、つくづく思いました。


法名を書した墓標。「さすが、ご院さん!」という定句。そのことば、落ち込む・・・。






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by e.wash-r | 2012-03-10 12:27 | おまいりにて | Comments(2)
Commented by しゅうきょう at 2012-03-11 23:20 x
最後の一行、気持ち、わかります。
ちなみに「さすが、ご院さん」と言われたことはありませんが...。
Commented by e.wash-r at 2012-03-12 12:31
その定句に落ち込み、墓標を立て遠くから眺めて落ち込み、その後、お墓におまいりするたびに落ち込むわけです。

ただ手を合わせればいいのに、落ち込むというのは「我」なんでしょうね。

ほんとうは、名実ともに「さすがご院さん」と言われたいということの裏返しなのかもしれません。

ますます、かっこ悪いですね。


しゅうきょうさま
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