美濃四十八座 超宗寺真宗講座 阿倍信幾師
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7月9日は、岐阜空襲があった日です。岐阜の仏教会では「平和の鐘」の日と銘うって、朝の9時に各寺院そろって梵鐘を撞く慣わしです。

今回の超宗寺真宗講座は、戦没者追悼のおつとめとご住職のお話からはじまり、その後、阿倍信幾先生のご法話。強い日差しではありましたが、乾いた風の吹く日でした。扇風機の風に心地よさを感じながら、お聴聞。


「惠蛄春秋をしらず 伊虫あに朱陽の節をしらんや」 中国の故事

 惠蛄(けいこ):セミの幼虫
 伊虫:セミの成虫
 朱陽の節:真夏

「セミの幼虫は土の中にいて、春や秋を知らない。地上に出てきたセミは、どうして今が真夏というかとをしるのであろうか。」の意。

翻ってわたしたち。

生まれる前のことも死んで行く先のことも知らない。生きているときがすべてだと思っているが、それは今がどのようなときかわからないでいるということ。

今すら知らないわたしに、ほとけさまは、生まれる前と今と死んでゆく先のことをおしえてくださってるのです。


み教えに遇うとはそういうことなんですね。



当寺でつとめた黄鐘会のことも含めて、美濃四十八座の課題がみえてきたように思います。

お聴聞を楽しみにされる方々が増え、美濃四十八座はどのお座も満堂です。しかし、すべての門徒さんからすれば、やはりほんの一部の方々お聴聞といえます。一寺をあずかる住職としては、さらに多く(厳密にはすべての)の門徒さんにみ教えに遇っていただくようつとめるのがお役目と考えるべきでしょう。

遅々たる歩みを続けていくことだと思います。

超宗寺ご住職が、昼座のあと、はじめてのおまいりの方が十人以上あったとよろこんでみえました。そこには、並々ならぬお誘いの繰り返しがあったのだと想像します。敬服。




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by e.wash-r | 2012-07-10 23:59 | お聴聞 | Comments(0)
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