ボクの都合で延期になっていた「正蓮寺にお歴史を語る会」。
今までのまとめということで、Mさんが古文書に残る当地岩利の年表をつくられました。その年表を見ながら・・・。
当地には、平安時代、宇多天皇がご巡幸された名残の地名が多く残っています。その地名と古文書から、ご巡幸の道程を辿りました。
今では、水田の中に当たり前のように道がありますが、すくなくとも当時は、山際の道や峠越えの道が一般的だったようです。現在の水田は、ほとんどが沼のようであっただろうとMさんの談。
低湿な場所が、まだ水田として整えられる前の日本の風景に興味が尽きません。
古い道と言えば、当寺裏山を越える道を「恋い坂」「忍び坂」と呼んだそうです。このコトについては、艶っぽい話が残っています。
いつか、このblogが終わるときまでには、書き残しておきたいと思っています。ということは、すくなくとも「恋い坂」「忍び坂」のことを書くまでは、blog続けるんだろうなあ。
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