100日間の伝導院「布教師課程」の研修を終えたO師が、26日の真宗講座の案内を持って訪ねてみえました。
ついつい引き留めて、長い時間、100日間のことを聞きました。それと御法義話。
ボクより20歳以上若いO師のたくましさに敬服。「きつかったです。」というO師のことばには、清々しさもあり、完全にこれからはボクが教えてもらう立場だなあと感じました。
ボクがO師の年齢の頃のことを思い出していました。当時は、何もかもがキカンウンドウという人間の思想に基づいていたように思います。どこにいてもあまり居心地がよくなかったので、ある時期からは、ボクは常にそういうものから逃げてきました。今は逃げてよかったと思っています。
O師と御法義の話をしながら、時代の移り変わりを感じました。
存分に語り合い、帰途のO師を門まで送るとき、入れ替わるように、某組の組長さんが入ってみえました。
今度は組長さんと心ゆくまで歓談。
といっても、組長さんは相当お怒りのご様子。椅子に座って向かい合うなり「ジッセンウンドウって、宗門は何考えとるんや。」と。語気強く話されました。
ジッセンウンドウというと聞こえはいいですが、社会貢献という耳障りがよく抗えないことばを纏ったキカンウンドウだとボクは思っています。
現場から乖離した頭のいい人たちが論理で作り上げたシステムの中で、ジッセン経験のない組織の人たちが、現場にジッセンを求めるという構図。ありがちなパターンではあります。これが企業ならば、最低限、利益が出れば何とか成り立つということになるのかもしれませんが・・・。
怒りを聞きながら、真摯な組長さんのいわゆる中間管理職の苦悩なのだろうと、客観的に思いました。
「ジッセンウンドウは『やった』という報告書だけ出して、現場ではやりたいことやるというのがいいのでは・・・。」と、ボクは立場がない分、お気楽に無責任な私見をお伝えしました。
ホントにそれでいいと思うんですが・・・。
宗門は厳しい状況にあると思います。
でも、有り難いのは、ボクのまわりの現場には、例えばO師や某組組長さんのような現場主義の熱い御法義の方々がいっぱいいらっしゃるということです。
つくづく恵まれています。感謝。
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