足寄、照経寺より
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遠く足寄、照経寺よりW師が来寺。
夕刻、小雨の中、釋俊照(昭)師のご遺骨を当寺墓地「慈光苑」に納骨。

たまたま数日前に見つかったという照経寺第二世釋俊照師の遺書に、"お骨を大谷本廟と岩利の正蓮寺に納めてほしい"という旨が書いてあったのだそうです。

釋俊照師に、ボクはどれだけお世話になったかわかりません。

数日前、電話で遺書のことと納骨のことをお知らせいただいたときには、懐かしさとうれしさで涙が吹き出しました。

魅力的な人に出会えたということ。至福の慶びだと思います。



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by e.wash-r | 2012-10-28 23:47 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(2)
Commented by 釋覺性 at 2012-10-30 13:34 x
あるメル友のお寺様から。

浄土に往生すると
休んでいたり遊んでいたりする
暇はないのよー。

っておっしゃっていました。

有縁を度してしばらくも
休息あることなかりけり

という意味だと思います。
還相回向。

諸仏になられるんですよね。
Commented by e.wash-r at 2012-10-31 09:08
先日、そういうことなんだと有り難く聞いた話があります。

「あの人」は往生したのだろうかということを、「わたし」が考えるのは仏教ではありません。「わたし」の往生を問題とするのが仏教です。そして、「わたし」の往生を願われるのは、「ほとけさま」です。

「ほとけさま」の願いのままに、「わたし」が往生する。もし、お浄土に「あの人」がいらっしゃらなかったら、例えば「あの人」を救うのは、往生した「わたし」の仕事。

そんな風に考えるのもいいのではないかと。あくまで、娑婆の論理ですが。


釋覺性 さま
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