つけっぱなしのテレビから聞こえてきた「高野悦子」さんの訃報。
漫然と「高野悦子さん、亡くなられれたんだー。」と思って、『二十歳の原点』を読んだころを回想。
なぜそうだったのかは憶えていませんが、ボクたちの高校生のころは、読んでおく本のひとつだったように思います。流れで、定番の柴田翔『されど我らが日々』等々、続々と読んだ記憶。
今から思うと、book-surfingの時代でした。都会の学生生活に憧れたころでもあります。
現実は、雑誌『pop-eye』や『outdoor』、月刊『宝島』に連載されていた『ANO-ANO』などの方が、ずっとワクワク観がありましたが・・・。
ノスタルジー?に浸っていると、tumblrでも『二十歳の原点』の書き出しの一節が流れてきました。
“独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である”
そうな風だったかなあと、さらにしみじみ懐古するうち、ひとつの疑問が・・・。
たしか、『二十歳の原点』は、高野悦子さんの自殺直前までの日記。今、高野悦子さんが亡くなられたってどういうこと???
かなり、混乱。netで検索。
2013年2月9日に亡くなられたのは、岩波ホール総支配人の高野悦子さん(享年83)。世界の名作映画を日本に紹介し続けた方だそうです。
『二十歳の原点』の高野悦子さんは、 1969年6月24日、20歳で自殺されています。
30年以上前、都会の学生生活はボクの憧れにおわりました。大学へは自坊から通学。授業のあと、体育館で法衣に着替えて、ときどきおまいりにも行きました。今思うと、よい子過ぎたような・・・。