美濃四十八座  -『伝道』原稿- 
2013年3月1日発行『伝道』掲載の「美濃四十八座」の原稿を転載します。


『美濃四十八座』


 美濃四十八座は、岐阜の美濃地方の有志寺院が緩やかに連携した法座の集まりです。たくさんのお同行がおまいりあいされます。現在、17ヶ寺が連携し、平成24年は、年26日、昼夜52座が開かれました。
 美濃四十八座に連携する一寺院の住職として、その「成り立ち」「コンセプト」「課題」「めざすもの」を思うままに述べさせていただきます。


成り立ち
 
 歴史 はじまり

 美濃四十八座は伝統がある法座ではありません。新たにはじめた法座です。
 はじまりは、蓮如上人の500回忌法要を機縁に寺をさらなる伝道の現場にしたいとの思いからはじめられた正尊寺真宗講座です。平成13年からはじまった正尊寺真宗講座は、最初1年ほどの試行錯誤を経て、以降年間五座、ただただお聴聞をするお同行で常に満堂でした。
 私は、当初よりお聴聞を誘われ、熱気ある満堂の本堂で、ご門徒さん方といっしょにほぼ毎回お聴聞しました。正尊寺真宗講座でお聴聞しながら、当時思ったことは、おおよそ次の三点だったように思います。
・住職でありながら、「いままでほとんどお聴聞してこなかった」ということ。
・「お聴聞は楽しい」ということ。
・お同行でいっぱいの本堂とそのお座の雰囲気への羨望、憧憬。
 正尊寺住職のお誘いにより、私以外にもおおくの僧侶がお聴聞していましたが、みな思いは同じだったのだろうと思います。その後数年のお聴聞を経て、平成17年以降、何ヶ寺かが正尊寺真宗講座を追随するかたちで真宗講座を立ち上げ、緩やかな連携が生まれてきました。
 つくづく思うこととして、正尊寺真宗講座でお聴聞をした僧侶が、自ら楽しみ、そして、住職としてうらやましいと思ったことが原動力となって自然と生まれたのが美濃四十八座です。法座そのものがもつひろがる力のようなものを感じています。現場としての法座でのお聴聞がなければ、羨ましさより、遠巻きの嫉妬や論理的批判精神を発揮しかねない私たちです。そういう意味では、美濃四十八座は、自画自賛のようですが、同行のひとりとりとして法座に足を運んだ僧侶、法座に育てられた僧侶によってはじまったと言っても過言ではないように思います。(美濃四十八座は、僧侶・寺族がご門徒に紛れて大勢お聴聞していることもおおきな特徴だと思います。)
 平成20年、上記のような過程を経て生まれた法座の緩やかな連携に、ちょっと格好をつけようとなんとなく「美濃四十八座」と名前がつき、現在に至っています。

 地理的分布 ひろがり

 法座に境目はありませんが、連携の便宜上、「美濃四十八座」という名の通り美濃地方という地理的なひろがりを設定しています。閉鎖的のようでもありますが、僭越ながら、各地に同じような法座の連携ができれば、境目はなくなると考えていますし、そのような状況ができることを楽しみにしています。
 現在の十七ヶ寺は、6市2町にまたがり、東西・南北約30kmの範囲にあります。車でおよそ1時間の範疇で、車を運転されるお同行にはそれほど遠くはない距離です。


コンセプト 

 「聞きたい」という思い

 法座を開くにあたり、共有しているコンセプトがあります。何よりまず「住職自身が聞きたい」ということ、「住職が聞きたいと思うご講師をお願いする」ということです。お聴聞したいという住職がひとりがいれば、少なくとも法座は成立するのです。法座が成立するのですから、「聞きたい」と思っている住職は、自信を持ってお同行に案内をし、お誘いをすることができます。形式的な案内や動員ではなく、当たり前のことですが「いっしょにお聴聞しましょう。楽しいですよ。」とお誘いできることが法座の原動力のひとつであると考えています。
 最低限のシンプルなお座
 美濃四十八座は、特別なことは何もしていません。おつとめをし、お聴聞をするという、ただそれだけの伝統のままのシンプルな法座です。一座のおおよそのプログラムは以下の通りです。
  勤行(正信偈、讃仏偈、礼讃等、お寺によっては仏事作法の講義等も)
  法話一座二席 約90分
とにかく「お聴聞」の場です。

 そのお寺が中心

 連携上、おおよそ以下のような約束を共有しています。
・昼座と夜座の開催。(昼間働いている方々のため夜座は必須)
・昼座は午後二時から、夜座は午後七時半から。(地域性により、例外はあります)
・原則として他の法要仏事行事と兼ねない。 
しかしながら、いうまでもなくお寺ごとの状況は様々ですので、美濃四十八座は、「そのお寺が独自に開催する法座」の連携というスタンスをとっています。美濃四十八座ありきではなく、お寺ありきということで、それぞれのお寺の意思を尊重し大切にしています。
住職として、ひとつにはまず、自坊のご門徒さんすべてがお座にまいられることを願うのです。

 「スタンプラリー」

 美濃四十八座では、スタンプラリーカードをつくっており、各お寺をめぐりお聴聞を重ねると、ささやかな記念品がもらえることになっています。お手次のお寺以外にも気楽に足を運んでいただくためのお楽しみのひとつです。"真宗的でない"と言われそうな部分は、お聴聞そのものが解決してくれると考えています。

 お聴聞の場としてのお寺の環境つくり

 ご講師のお話が物理的によく聞こえる本堂・境内つくりに、どのお寺も尽力しています。具体的には視聴覚設備の充実です。おたがい情報交換やアドバイスをしながら、より聞きやすい環境を目指しています。お寺によっては、本堂に座りきれない場合もあり、庫裏や会館をサテライト会場にし、法話を中継するという方法も試行しています。
 その他、お茶所の設置、椅子や手すりの設備、トイレの改修、駐車場等、お寺の環境つくりに、住職も門徒さん方も自然と一生懸命になる雰囲気が生まれています。


課題

 美濃四十八座の連携がはじまって4年、お聴聞を楽しまれる方々が増え、どのお寺の法座もお同行でいっぱいになるようになりました。しかし、やはり課題も現出しています。
 ひとつは、やはりなかなかあたらしくお寺にまいる方々を増やせないことです。このことについては、美濃四十八座の願い通りに、とにかく法座の準備をしっかりして誘うことであり、遅々たる歩みを続けていくしかないと考えています。
 もうひとつは、抽象的ですが、美濃四十八座が教区・組をこえた有志寺院の法座という点にあります。おまいりあいが真宗の伝統、本願寺・親鸞聖人の門徒とはいえ、実際のところは檀家制度のもとに宗門も各寺院も成立しています。その現況のなか、地域のあらゆる門徒さんを巻き込んむ有志寺院の連携という美濃四十八座には、たぶん旧来の教区・組による教化とはすこし違う趣があるのです。開催寺院とそうでない寺院の間に、あるいは教区・組との間に微妙な軋轢が生まれてきてもおかしくありません。この微妙な乖離は多分に心理的なものであると思いますが、心理的故にやっかいな部分もあります。現実的にかかえていかなければいけない課題と考えています。 


めざすもの

 評価は別として、かつて美濃の地では、信仰は一揆の精神的拠り所ともなりました。石山戦争の折り、門徒は、織田信長の地元でありながら本願寺を支え続けました。三業惑乱時には、僧俗混沌とご法義解釈で対立するエネルギーもありました。戦後、空襲で焼けた岐阜別院をいち早く再建することができたことも、飛騨と美濃にご法義が生きていたことの証でしょう。お彼岸の別院は、遠近各地からおまいりの老若男女で門前まで賑わい、各寺の報恩講にも、屋台が並び本堂はお同行が余間まで座り縁にまであふれたと聞いています。
 ただ残念なことに、みな昔話です。今は往時の活気・おまいりがありません。それを時代の趨勢と甘受することもできますが、それは時代の要望ではないような気がします。お聴聞のご縁を求める方々は今もいらっしゃるし、まだそのご縁にあっていない方々が大勢いらっしゃるのです。
 連携することの意味は、ひとつのお寺ではできないこと・限界があることができるということです。ひとつのお寺でできる法座には限りがありますが、何ヶ寺かが寄れば、ただただお聴聞のご縁をある程度絶え間なくつくることはできるのです。めざすものは、遠いいつかの「美濃の土徳」であり「美濃門徒」です。多くの法座を広く門戸を広げて開き続けることが、美濃四十八座だと思っています。
by e.wash-r | 2013-04-09 08:10 | お聴聞 | Comments(0)
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