心配事が絶えません。
とりあえず、こどものこと。
長女の高校入試の前日だというのに、長男の問題で、学校へ行ってきました。職員室で、丁重に1年□組のUの父親であることを名乗ると、そこにいらっしゃったのは、大学の先輩H先生。
懐かしくも、生徒指導の先生だけに、ちょっと気まずい思いでいると、
「お姉ちゃん、明日、入試やねえ。」
とH先生。
長男のことしか頭になかったですが、長女もお世話になっているんだと、慌てて話を合わせました。
人間は、心配事で潰れてしまわないようにうまくできているみたいです。数限りない心配事を全部一度に心配していたら、とても耐えられないので、とりあえず目先のことを心配しているときは、その先のもののことは、気にならないように自己防衛するシステムができているのではないかと、ボクは思います。
過日、A地区の報恩講におまいりしました。村には荘厳一式とお名号があり、年に一度、お宿を決め、お飾りをして報恩講をお勤めされます。
A地区は、昔は、松一式で報恩講のお華を立ててみえました。山に入って、材料を採ってくることことからが、お華立ての仕事です。今は、なかなか松一式というわけにはいきませんが、それでも、野山で素材を集め、仏華を立てお荘厳してみえます。
お宿を受けられたTさんの心配事は、そのお華の立て方です。
「ご院さん、情けないことに、私らの心配事は、思わんとこにあるモンです。いざ、準備を始めたら、お華立てに一番苦労しました。」
ご法座では、お年寄りの方から聞いていたA地区の報恩講の歴史をお伝えした上で、お取り次ぎをしました。忘れられそうになっているA地区で築いてこられた信仰のすがたを、わかる限りは、伝えたいと思たからです。
すべてが終わったあとTさんが、満面の笑顔で、
「安心するっていうことですなあ。」
とニコニコしてみえます。無事、お華を立て、報恩講を勤め上げた安堵感だけではない笑顔だと思いました。
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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