音楽について
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帰宅していた長男は、暇があると居間でギターを弾いていました。それを、長女も次女も将軍さまも、「うるさい!」と怒っていました。

将軍さまは、お手伝いしているこどもの合唱団の先生に誘われて「第九」の合唱に出られるのだそうです。暇があると「第九」のパートを歌っておられます。それを、こどもたちは、やはり「うるさい!」と怒っていました。

ボクもそう思っていました。

本人は、たぶん気持ちがいいのです。しかし、まわりの者が、決して心地よくなかったのは事実で、少なくとも当家においては、音楽が誰かを心地よくさせるというのは幻想です。むしろ、不快にさせているという現実があります。


実は、音楽に限ったことではなく、芸術一般、あるいは文学やスポーツ、もっと言えば、我の発露はすべて、同じ構造をもっていると言えます。

本人は気持ちよくても、まわりはどう受けとめるかわからないということです。多少辛辣な言い方をすれば、特別な事情や共感がない限り、他人の自己主張というのは、たいして心地よくないものなのだと思うわけです。

一面的ではありますが、逆に言うと、感性の共感や特別な愛着等を伴ってはじめて、人は他を受け入れられるということなのだと思うわけです。

共有・共感するよろこびを持てる集団内での心地よさということなのでしょう。「倫理」、つまり「倫(ともがら)の理(ことわり)」と同じ構造です。


他力の信仰において、例えばご法義をよろこぶことや儀礼、お念仏は、私の感性でも愛着でもありません。どこまでも他力です。礼拝や読経等は礼拝の対象に向かう賛嘆・荘厳であるという構造です。しかも、本来は私的に。

以前、法会で歌われる仏教賛歌は、聴衆に向けられたものか、ほとけさまに向けられたものかということで、軽い論議をしたことがあります。具体的には、例えば、どちらを向いて歌うかというようなこと。

"どうせ人間のすることだから、深く考えない"ということで、なんとなくおさまりましたが、ボク自身は相応のこだわりをもっています。

坊主としては、とりあえず"ワシのお経を聞け!"というスタンスにならないように気をつけます。





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by e.wash-r | 2013-06-05 22:53 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(2)
Commented by 釋證眞 at 2013-06-07 09:21 x
なるほど…限りなく自力に近いのではないかと思っていましたが、振り返って見れば「他力の計らい」だったということでしょうか。

なんというか、ともすれば妄執のようにさえ思える我が「こだわり」が、阿弥陀さまの計らいだと考えると、なんとなくとてつもなくありがたい気がしますね。
Commented by e.wash-r at 2013-06-08 01:07
我が楽しみが、誰かを楽しませているかもしれないんですよね。

楽しみましょう。


ということかな・・・


釋證眞 さま
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