『ありがとう「香光殿」』という心情
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岐阜別院におまいりするたびに、香光殿が少しづつ解体されていく姿を目にします。

先日届いた岐阜教区発行の広報誌『念仏の声』によれば、解体、再建に向けて、5月25日に「起工式」が行われたそうです。ある意味、計画通りではあります。

前向き、未来志向といえば、その通りですが、ボクとしては、人としての思い入れのようなものに、もう少し配慮があってもいいような気がするのです。壊れていくもの、消えていくものへの追慕の情があってもいいのではないかと・・・。

過去にこだわることを、極端に嫌う人々がいることは否定しません。過去のことを言ってどうなるというのか、もう済んだこと、今はあたらしいことに邁進している最中・・・と。

でも、なんとなく、過去を美化し、懐古し、そのノスタルジーに埋没し、過去に執着し捨てきれないのもまた、人の姿だと思うのです。

それと、何よりお世話になったヒト、モノ、コトにお礼をしたいというのは、人の德であり、礼であり、情です。


できることなら、建て直す研修センターの設計業者さんや施工業者さんと法要委員会の方々が同席して行われたという起工式と同様に、香光殿でお世話になった方々とのお礼のおつとめをして欲しかったなあと思うわけです。(仮にそういうおまいりがあったとしても、いっしょにお礼できたかどうかわかりませんが。)

もう怒ったりしませんが、とても空しくさみしく感じた次第。



そういえば、黒野別院が取り壊されることになったときもよく似た状況だったような・・・。


あのころのこと。

門徒さんといっしょに、最後のおまいりをしようと黒野別院へ行きました。でも、施錠してあって本堂内にはいることはできませんでした。閉まった戸を隔てておまいりをしました。後に、もう阿弥陀さまのお遷座のあとだったことを知りました。


黒野別院については、地元の小学校の先生からの嘆きも聞きました。

当時、閑散としていた黒野別院は、こどもたちのたまり場になっていて喫煙などもあったようです。先生方は、何度も見回りをして指導してみえました。

学校は、その黒野別院がなくなると聞いて、最後の姿を残そうと黒野別院での写生大会を企画されたのです。そして、先生がその下見に行かれると・・・。別院は解体の最中で、ぺしゃんこにつぶれた別院の瓦礫の上をブルドーザーが動き回っていたそうです。「そういうものなのか?」と、先生はそのときのことを、とてもさみしそうに話してくださいました。切ない話だと思います。



ボク自身が当事者なので、第三者の立場で批判することは卑怯です。そうなんですが、それでもやっぱり、相応の立場にある方々に、香光殿で遊んだ一門徒の気持ちもなんとかわかって欲しいと思うのです。

「しょせん煩悩ですが、ボクたちには、勝手ながら情があるんです。」





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by e.wash-r | 2013-07-24 23:32 | おまいりにて | Comments(0)
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