御同朋の社会をめざす運動
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夕刻から、明照寺さま本堂で、「御同朋をめざす運動」についての研修会。お取り越しの予定があり、19:00から20:00までの1時間だけ、お話しを聞きました。

御講師は、以前、何度も本山の研修でご一緒させていただいたことがある本願寺総合研究所研究員のS師。確か、ボクと同い年。白髪も増え、随分お疲れのご様子でした。厳しい状況をつとめていらっしゃるんだろうと拝察しました。

旧「基幹運動」の歴史・総括・課題を聞いたところで、ボクはおまいりに。レジメを観ると、その後のお話しは、新しい「御同朋の社会をめざす運動」について。興味がありましたが、お話の途中でご無礼しました。



ボクが、興味を持ったのは、レジメの最初に述べられていた

『1、「浄土真宗本願寺派宗制」の実践に取り組む』

という項目です。具体的には、以下の3点に要約されていました。

「同朋教団」
「阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える」
「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」

自身の不勉強をさらすことになるのですが、具体的に文言をよく読み、それを実践の項目としたとき、どうしても、ことばの定義が気になるのです。

「同朋教団」、「阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える」の2項目については、それぞれの文言について、宗派内で共通の認識が可能です。

しかし「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」という項目については、具体的な実践の道しるべとするとなると、すべてが一般用語ですから、「一般的な本来のことばの意味」と「当宗派がとらえる意味」とをしっかりと位置づける必要を感じます。

「自他」とは?
「心豊か」とは?
「社会」とは?
「実現」とは?
「貢献}とは?

ボクの驕った私見ですが、少なくとも、上記5つのことばを、しっかり吟味すれば、自ずと宗派の運動の有り様というものが見えてくると思うのですが。

運動というなら、何ができて、何ができないかを、ボクたちは、真剣にどこまで踏み込めるのかを、もう少し考える必要があると思っています。





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by e.wash-r | 2013-12-13 23:30 | お聴聞 | Comments(0)
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