美濃四十八座 超誓寺真宗講座 北岑大至師
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超誓寺真宗講座、昼座のお聴聞。

最近、急速に変わりつつある「お墓」事情を通してのお取り次ぎでした。

自分の思い(欲望の発露)を根拠に、お墓をとらえたならば、それは苦悩のタネにもなりうる、ということ。何より、お釈迦様のみおしえ、阿弥陀さまの願いを聞くなかに、お墓のすがたみえてくるのでは、というお話し。

葬儀のことも法事のこともお墓のことも、どこかとらえ方が違うんじゃないかというこのごろの世相を、鋭く見つめられた内容でした。



すべて自分が主役であるような、自分の有り様を世間を巻き込んで実現しようとするような最近の世相が、ボクは好きではありません。

思えば、「千の風になって」の流行も、同じ土壌の中の出来事であったような気がします。死後の自分の姿を語るという論調です。(このあたりは、ゆっくり検証してみたいとおもっていたことです。)


超誓寺さんのまわりは、紡績工場跡地の宅地化工事の真っ最中。入居される若い方々に、お寺の存在がどのように映るのか気になります。

お寺は、損得の勘定で眺める場所ではなく、頭のさがる場所、手を合わせる場所です。




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by e.wash-r | 2014-05-08 23:08 | お聴聞 | Comments(1)
Commented at 2014-05-09 20:05 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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