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長女を幼稚園の送迎バスの乗り場まで送った坊守が、無造作に堤防で引っこ抜いてきたねむの木。おおよそ20年、大きくなりました。
「ねむの木なんか!」と、何度も切られそうになりましたが、かろうじて生き延び、今では境内の外からでも見えるほどになりました。
親鸞聖人がお得度された京都東山、青蓮院の山門を入った正面の生け垣の中に、ねむの木の巨木があります。(多分あったと思います。)10年以上前のことですが、そのねむの木を見て、境内にあるのもいいなと思った記憶があり、そのこともあってなんとなく見守ってきました。
長い間ぼちぼちと咲く花が終わったあと、枝に残ったままでねむの木の葉は枯れていきます。立ち枯れたような姿は、正直ちょっとみっともない感じです。一般に庭木として嫌われる所以だろうと思います。
ねむの木に我が身を投影しているのかも。良くも悪くも、美意識の根には無常があるみたいですね。
Tumblr 『西蔵防だよん』
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