熊谷守一展  -ヤキバノカエリ(1)-
b0029488_0353319.jpg


9月5日、岐阜県美術館で「熊谷守一展」を観てきました。熊谷守一の展覧会としては、最大規模のものだそうです。

感嘆のため息を何度も漏らしながら、心地よく、カタチとイロの造形を楽しんできました。


どうしても気になる「ヤキバノカエリ」と題された絵。
ボクには、今まで何度も何度も繰り返し見た象徴的な「故郷」であり「日暮し」です。


10月19日まで。また見に行こうと思っています。




                    Tumblr 『西蔵防だよん』

 
                    【 1年前の今日のblog
                    【 2年前の今日のblog
                    【 3年前の今日のblog
                    【 4年前の今日のblog
                    【 5年前の今日のblog
                    【 6年前の今日のblog
                    【 7年前の今日のblog
                    【 8年前の今日のblog
                    【 9年前の今日のblog
                    【 10年前の今日のblog
by e.wash-r | 2014-09-24 23:34 | 溺レル | Comments(6)
Commented by gizing at 2014-10-13 11:14 x
先週の土曜日、岐阜県美術館「守一のいる場所」に居ました。

2時間ばかり、ただため息ばかりでした。

「ヤキバノカエリ」、人物の足どりのよろめき加減が好きです。

娑婆の難儀に小突き回されながらも、とぼとぼと歩いている。


ここには、「死もまた我らなり」なんてお利口な言葉は余計です。

草花、猫、虫、みんなどれほどまっとうに生きていることか・・・。









Commented by e.wash-r at 2014-10-13 21:34
ようこそ岐阜へ。

地の利を活かして、なんとかもう一度見に行きたいと思っています。

何なんですかね、揺り動かされるものがあるんです、ボクの場合。

ヤル気とかモチベーションとか慟哭とか、そういうものではなく、とつとつと。

・・・うまく言えません。


gizingさま



Commented by gizing at 2014-10-15 10:50 x
「在る」という自明なることへの驚き。

ホンモノの芸術作品は、その「よすが」ではないでしょうか。

この驚きを失くしたとき、僕らはただの「世渡り機関」になります。

守一は仙人どころか、さぞ生きにくかったに違いありません。


Commented by e.wash-r at 2014-10-16 09:11
”守一は仙人どころか、さぞ生きにくかったに違いありません。”

同感です。僭越ながら、あの感性は「世渡り」からは生まれたのではないだろうなと思います。

ボクたちが、感嘆のため息をつくのは、驚きとともに世渡りではない生への憧憬でもあるのかもしれません。

gizingさま
Commented by gizing at 2014-10-21 21:16 x
東京出張の合間に豊島区立熊谷守一美術館に行きました。

守一は描いていることにのみ値打ちを感じ、出来上がった作品は
どうでもよかったみたいです。

自分の死後、それらがどうなろうと知ったことではないと。

居宅の跡に、娘さんによって建てられたこの美術館も、きっと
「ああ目障りだ。余計なことはせんでくれ」と言い出しそうです。

「超俗」ではなく、彼が「普通」で、所謂世間一般の思考がいびつなだけ
のこと。「普通」なことを殊更ほめられたり持ち上げられたりしたら、そりゃ煩わしいでしょう。

守一の絵に心惹かれても、「守一のいる場所」にベッタリ居続ける
必要はない。そんなことをされたら、当の守一が一番迷惑するだろう。

まさに作礼而去です。



Commented by e.wash-r at 2014-10-22 11:57
最近、”実は「普通」というのは理想なのだ”という文言に出会いました。

また、「普通」が「普通」であることの難しさ、ということもありますよね。


終了間際、地の利を活かして、急ぎ足でしたが、もう一度熊谷守一展観てきました。

よかったです。


gizingさま
<< D寺前前坊守さま葬儀 ―ヤキバ... 永代経法要・前前住職50回忌、... >>