「お初の方」と栄昌院
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【「お初の方」は、織田信長の妹であるお市の方と浅井長政との間に生まれた三姉妹(長女:茶々、次女:初、三女:江)の次女です。小浜城主京極高次に嫁ぎ、京極家の江戸屋敷で亡くなりました。法名は常高寺殿松厳栄昌大姉、墓所は小浜の常高寺にあり、お初の方に仕えた七人の侍女がそれぞれ寺庵を結び、全体を栄昌院と号てお初の方の菩提を弔い続けました。】

【京極家の讃岐へのお国替えにより、栄昌院は丸亀に移ります。しかし、明治初期、京極家は祭祀を仏式から神式に改めます。このことを機縁に、栄昌院は丸亀から信長ゆかりの岐阜に移り復興され、現在に至っています。】

以上、岐阜市佐野の栄昌院縁起からのまとめ。


お初の方の子孫のSさんが訪ねていらっしゃいました。「正蓮寺の歴史を語る会」主宰のM氏が、「お初の方」と佐野織田氏、栄昌院移転に関してお詳しいので、世間にはまだあまり知られていない歴史を聞き取りにいらっしゃったのです。

現山県市の東光寺住職毒箪師が栄昌院の丸亀から岐阜への移転に尽力された由、S氏とM氏の談義に同席させていただき、歴史の綾を興味深くうかがいました。


世間に名を馳せた方ならではの、たどることができる歴史もあれば、ボクたちのように市井に生きる有象無象の者の消えていく歴史もあります。

消えていった歴史を知る術はありませんが、残った歴史に観ずるものはあります。

来し方を見れば、紆余曲折を経て今に至っているんだろうということ。往く方を見れば、紆余曲折してゆくものなのだろうということ。

見たところで、あまりよくわからないのがいいところだったりして・・・。




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by e.wash-r | 2014-11-20 23:18 | ふるさと | Comments(2)
Commented at 2014-11-26 14:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by e.wash-r at 2014-12-03 01:37
鍵のHさま

貴重な情報有り難うございます。
歴史の会のM氏、子孫のS氏にお伝えします。

別件です。
当寺の紋は「対蝶」と「雲」ですが、当家の紋は「四つ片喰」であることがわかりました。
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