美濃四十八座 専琳寺真宗講座 松島智譲師
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専琳寺真宗講座夜座のお聴聞。ご講師は、大分の照雲寺、松島智譲先生。先生の曽祖父は豊前の学寮「信昌閣」を開かれた松島善譲師。

お通夜で少し遅れて入った本堂は満堂。ゆったりと老獪(いい意味で)なお取次ぎの最中でした。最後席でお聴聞。

最近、近くのものも遠くのものもぼやけてしか見えないので、お話ぶりから勝手にご年配と思い込み聞いておりましたが、休憩の後、唯一空いた最前席に移動して、松嶋先生がボクよりずっとお若いということを知り少し驚きました。

確かなのは如来さまのお慈悲。約仏に徹したお取次ぎ、ありがたかったです。


法座の後、専琳寺ご住職、松島先生、岐阜別院常例法座にご出講中の長野の木賣慈教先生、そして岐阜のご院さん方の6人で、ご法義話。かつてS師と豊前・照雲寺を訪ねたときの感銘を思い出しながら。

「美濃四十八座は約仏のお話を聞く法座でありたい」というS師の思いに、松島先生が”中津では、むしろご門徒さん方が、約仏を離れたらお説教ではないと思っていらっしゃる”の意のお応え。(先生がおっしゃった正確なことばを忘れましたが。)お育ての地の徳と迫力を感じました。



以下に、「西蔵坊だより」2009/7/3の『中津照雲寺松島善讓師と六連島のお軽さん』を再掲。


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『中津照雲寺松島善讓師と六連島のお軽さん』


捜していたメモ帳が見つかりました。記録します。

2005年に、山口県の仙崎・青海島を訪ねたあと、関門海峡を渡って大分県の中津、照雲寺におまいりしたときのものです。

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美濃四十八座 専琳寺真宗講座 松島智譲師_b0029488_8425479.jpg照雲寺は、松島善讓師が信昌閣という学寮を開かれ、多くの真宗僧侶が宗学を研鑽されたお寺です。






松島善譲師

照雲寺のご住職から、お軽さんが、松島善讓師をたずねていらっしゃったときの話を聞きました。以下、その時のメモ。(メモのままです。)

     山口おかる同行、歩いてお聴聞、お墓で野宿しながら、

     善譲師   「ようおいでになった。お念仏申されよ。」
     お軽さん 「わたしには先生のようなお念仏がでません。空念仏です。」
     善譲師   「空念仏で結構。空のお念仏にわたしのはからいを入れんように」




先日、山口県の六連島を訪ねました。西教寺におまいりしました。

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美濃四十八座 専琳寺真宗講座 松島智譲師_b0029488_8453854.jpg西教寺は、お軽さんがお念仏にであわれたお寺。






お軽さんのお墓

お守りをしていらっしゃるご住職のお姉さんから、お軽さんの話を聞きました。

     お軽さんは、お聴聞を重ねられました。
     お話しを聞くために、自ら船を漕いで、中津にまで行かれたそうです。




中津と六連島は、まちがいなくお念仏で繋がっていました。

フィールドワークの醍醐味!

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by e.wash-r | 2015-04-18 03:36 | お聴聞 | Comments(7)
Commented by gizing at 2015-04-19 21:15 x
福沢諭吉は大分中津藩士の子で、生涯『御文章』を手元に置いていたとのこと。
子息の回想によれば、夜中、父の寝室からお念仏がしきりに聞こえてきたとか。
学校でこの辺りのことも伝えていただきたいものです。
Commented by e.wash-r at 2015-04-21 23:30
gizingさま

ご講師方のお話の中にも、福沢諭吉の話が出てきました。

当方、勉強不足です。稲城先生の本があるそうですが、手にはいらないので、netで見つけた「浄土真宗と福沢諭吉」という慶応大学の講演録を読んでみます。
Commented by 播州 at 2015-04-22 10:29 x
偶然
今、少し福沢先生関係も含めて歴史書の編集しています。
秋には創刊できそうです。
福沢先生は、浄土真宗如様の御影を求めて拝受した手紙を
授業で勉強したことがありました。また浄土真宗と福沢先生の講演もあったぐらいエピソードや資料もあります。
今恩師は本願寺系の大学長であり住職でもあり、交流させていただいています。
福沢先生に関することは慶応義塾福沢研究センタが沢山、
あり研究成果は季刊誌でも発表されています。
Commented by gizing at 2015-04-24 11:24 x
世渡り名人の総領とも見える福翁の、確たる足場がお念仏であったことが感慨深いです。

世を超えた領域を抜きにして、娑婆を俯瞰する視点は得られない、という具体例ではないかと拝察する次第です。
Commented by 播州 at 2015-04-26 05:10 x
具体事例は、幕末と明治をちょうど半分ずつに人生を送られました福澤先生は、本来無宗教でしたが、門下生に真宗門徒が多かったこと、交際範囲の実に広く、多岐にわたる方面の方と接しておられたが、
特に明如上人の御影をどうしてもほしいといただいた以上は大切に身近でもっていたいとの文面
書簡を出されたとのことです。私はこれが確たる足場をお念仏に求めたものと考えます。

ちなみに福澤家は本来浄土真宗です
お役に立てば何よりです。
Commented by e.wash-r at 2015-04-27 16:23
播州さま

秋に創刊の書物、楽しみにしております。
播州の真宗についいて、また、ご教授いただくことをも楽しみにしております。

当地については、新しい情報がありません。アンテナ張って起きます。
Commented by e.wash-r at 2015-04-27 16:34
gizingさま

自身は迷いの衆生であっても、救いの主たる如来さまの視座を想像することは、ある意味楽しいいことなのかもしれません。

あくまで不確かな想像の領域であり、勘違いと傲慢には気をつけなければと思います。ひとつの遊びだとおもいます。
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