戦時供出と戦後の梵鐘・喚鐘鋳造
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彼岸会以来、法会の開始を知らせる喚鐘(かんしょう)の音が割れます。

当寺の喚鐘は、昭和21年の9月に鋳造されたものです。当時製麺業を営んでいらっしゃった安食、北方、長良の3人の同業のご門徒さんが相談され、戦時供出で失くなった喚鐘を、いち早く新調してくださったのです。

喚鐘の新調により、梵鐘(ぼんしょう)鋳造の機運が高まり、翌年の昭和22年9月には、全門徒の志で梵鐘が新調されました。終戦直後のこと、当時の方々の思いに敬服です。

70年、法会のたびに鳴らしてきた喚鐘が、どうも割れたらしいのです。


・早速、懇意nの仏具店さんに、新調するにあたっての予算や日程を調べてもらいました。

・早速、寄進の3家のご門徒さんに、新調の旨を伝えました。新調についてのご理解とご協力をお願いし、ご懇志もあげていただきました。

・総代さんと相談し、すべての門徒さんがたに、新調のための懇志を依頼を検討中。

・終戦直後の喚鐘鋳造の経緯に鑑み、当時の方々の思いの伝承を考えています。



本日、上げ仏事があり、その割れた喚鐘を打つことに。

そのとき、喚鐘の内側にあるドロバチの巣を発見。既にひとつは取り払っていたのですが、死角にもうひとつ。

ひょっとしてと思って、ドライバーで巣を取り去ったあと喚鐘を打つと・・・。

いい音。なんか、割れていないみたい・・・。


とんだ勇み足でした。


・仏具店さんにお断りしないといけない・・・。

・寄進してくださった門徒さんに、割れてませんでしたってお知らせないといけない・・・。

・いただいてしまった懇志はどうしよう・・・。


でも、せっかくなので、この機会に、戦後の喚鐘・梵鐘鋳造の歴史は、折りに触れ、ご門徒さんにお伝えしようと思います。

戦後、お寺の鐘が鳴らなくなった岐阜の街のことをさみしく思い、お寺への梵鐘の寄進を続けられた念仏者『川島らい』さんのことも。



『川島らい』さんのこと   【平和の鐘  ―『鯨音』再掲―】  




                    
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by e.wash-r | 2015-10-16 21:57 | ようこそ正蓮寺へ | Comments(2)
Commented by 播州 at 2015-10-19 14:03 x
我が家の残存の朝鮮半鐘は、診療所の医師呼び出しの知らせの為、戦争供出を免れました。過日ご覧いただいたあの小さな半鐘です。報恩講や患者さんや江戸時代は学者との交流に使われてました。今は茶会と法事、報恩講のみですが先祖が大切にした半鐘を守りたいです。梵鐘新調おめでとうございます。
蛇足ですが、新潟上越の従兄弟の檀家寺は戦後梵鐘もなく雪害
費用に大変らしくいまだ除夜の鐘がきけないとか、、。

Commented by e.wash-r at 2015-10-19 15:50
案内の鐘という意味では、喚鐘という呼び方も、ありがたい響きだと思っています。

400年以上前の鐘が、報恩講・医療・学問・茶会のたびに打ち続けられ、今も現役ということに感動です。

継承するということの重みを感じます。次から次へと、難題が湧いてきますから。

喚鐘は、どうも問題なさそうなので、その場合、新調はしません。お騒がせしております。


播州さま
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