G村の講へ。
午後1時~3時半まで、お正信偈のおつとめのあと、お取り次ぎ2席。
お世話方の方々と少し歓談。
なんでも簡略化してゆく世の中だけど・・・。
なくすことはいつでもできる。
できるうちは丁寧につとめたい。
おおよそそんな意のお話し。
村の大勢の方々が関わっていらっしゃることが、その雰囲気から伝わる講でした。第三者の域を離れない意見ですが、少々面倒でも簡略化することなく続いていって欲しいと思うことです。一度途切れたら、新しく講を立ち上げるということは、かなり困難なことのような気がするので。
合議制とか話し合いというのは大切なことですが、深く関わらない人の軽い一言で、講は簡単に消えていきます。(そういう経過をいくつか見てきました。)軽い発言を許さない雰囲気、「タブー」とか「畏れ」とかいうようなことも大切にしていく必要があると最近思っています。
有難い講のご縁でした。
(写真は、後日、お世話方のTさんが届けてくださったもの。)
Tumblr 『西蔵防だよん』
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