『モダン・タイムス』。1936年のチャップリンの作品です。
歯車のように、無機的に働く労働者が描かれます。当時の時流からすると、急激な産業構造・労働環境の変化が、従来の感性を伴う労働を阻害したということだったのだと思います。批判と風刺の眼差しはそこに向けられています。
80年後の今も、たぶんクリエイティブな労働への羨望は変わりません。しかし、何がどのように変わったのかを説明することはできませんが、「歯車」というキーワードについて言えば、今は、「歯車であること」は、むしろ存在価値であるという認識のような気がします。
社会の・組織の一部であるというある種の自覚のようなもの。チャップリンの時代、チャップリンの危惧とは異なる感覚で、ボクたちは、恣意的な、もしくは無機的な歯車であることを受け入れ、自負しているのではないかと思うのです。
時代の成熟なのか退廃なのか、いいのか悪いかは別問題として。
俗に言うブラック企業、あるいはブラックな労働環境ということについて、オモシロイ喩えを聞きました。
『認識が古いよ、歯車って。燃料。』
正義面してブラック批判をしてもしかたがないので、自戒を込めて受け止めたいと思うわけです。
ボクは、(または「お寺」は)、誰かを同じ歯車と思っているのか、それとも燃料と思っているのか、ということ。
絆とか 寄り添うとか仲間とか友情とか愛とか邪な恋とか、そういうノリじゃなくて、ね。
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