父の龍谷大学時代の同窓会が、周り順で岐阜で行われました。「六六会」といい、毎年6月6日に定例で行っているそうです。
御年86歳の方々が、全国から33名参加。熊本から駆けつけられた方も。
父にかわって、岐阜別院での接待、物故者追弔法要、挨拶を仰せつかりました。
接待は、母、坊守、妹、姪っ子が担当。ボクは法要のおつとめと、挨拶?。最初は”法話を”ということでしたが、途中から、”歓迎と物故者追弔法要のお礼”をという依頼に変わりました。
父が、いわゆる物故者であり、ボクが追弔法要をつとめたうえでお礼を言うというのも、なんとなく違和感があったので、法要は法要として、挨拶は岐阜に来てくださったこと、岐阜別院にお参りくださったことへのお礼としました。
帰洛の途上の親鸞聖人から直接教えを受けた河野門徒。
蓮如上人のご教化。
石山戦争時、想像される信長のお膝元としての美濃門徒の苦悩。
東西本願寺分立と准如上人のご教化、現岐阜別院創立。
岐阜別院でのお説教が三業惑乱の発端となり、美濃門徒も紛糾。
昭和20年岐阜空襲で別院焼失、昭和26年即時再建のご苦労。
等々。
というような、岐阜の真宗の歴史を短く短くお話しし、その法徳を経て、1週間前には、岐阜別院の本堂修復の慶讃法要と親鸞聖人の大遠忌法要がつとまったことをお伝えしました。
本堂修復のご懇志を依頼するつもりでしたが、ちょっと勇気がありませんでした。
一泊二日の旅程の後、別れ際、「来年は大阪で。」「次はお浄土で。」というふたつの挨拶が飛び交っていました。
来年は87歳。いずれにしても、なんまんだぶ。
Tumblr 『西蔵防だよん』
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