岐阜空襲があった7月9日の9時、仏教会の提唱の『平和の鐘』を撞きました。
昨年までは、法務の都合で坊守のお役でしたが、今年は住職のお役目。
戦時中、供出された鐘の一部は、実際に「資源」として活用されることなく、市内某所に運ばれただけで、そこに放置されたままだったと聞いています。その中で、無事寺に戻った鐘もあるようですが、大半は行方不明のまま。供出した当寺の梵鐘や喚鐘・仏具等が、どうなったのかはわかりません。帰ってはきませんでした。
『平和の鐘』を撞き終わって、あらためて、梵鐘を眺めました。
鋳造の日時が、【昭和22年9月】と刻んであります。
終戦の2年後には再造されていたことになります。戦中戦後の状況を知りませんが、敗戦後たった2年です。
当時の方々の思いの強さを感じています。
Tumblr 『西蔵防だよん』 【 2015年の今日のblog 】【 2014年の今日のblog 】【 2013年の今日のblog 】【 2012年の今日のblog 】【 2011年の今日のblog 】【 2010年の今日のblog 】【 2009年の今日のblog 】【 2008年の今日のblog 】【 2007年の今日のblog 】【 2006年の今日のblog 】【 2005年の今日のblog 】【 2004年の今日のblog 】【 2003年の今日のblog 】