黒野組第三回僧侶研修 河智義邦師
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岐阜別院にて、黒野組僧侶研修。『アミダ経に学ぶ』と題して、河智義邦先生の3回めの講義。25名ほどの参加。

8月の第2回の講義を、どうしても山に行きたくて確信犯的に欠席したこともあり、今回はかなり無理して出席。約束の法事の時間を30分ずらしてもらって、講義の前半だけでもお聴聞しようと、少々身勝手で無茶な段取り。

が、講義がはじまる時間と思っていた1時は受付開始時間で、実際講義がはじまったのは、1時45分。15分受講して、おまいりへ。結局、おまいりも遅刻しました。(時間を間違えたのはボクですが、内輪の25人の研修に受付は必要ないやろ!と心のなかで八つ当たり)

虻蜂取らず、二兎を追う者は一兎も得ず、です。丁寧にまとめられた資料をいただいたので、せめて、資料で勉強します。

欠席した前回の資料もいただきました。前回は、阿弥陀経の講義の前段として、「お聴聞の心得」についてのお話しが中心だったそうです。

七里恒順和上の「聴聞の心得」が資料にありました。



【聴聞の心得】

一、今日のこのご縁は、初事と思うべし
一、今日のこのご縁は、我一人の為と思うべし
一、今日のこのご縁は、今生最後と思うべし

(恒順和上語録)



読めば読むほど、自分の姿勢をたしなめられている気分。あらためて、我が身にとどめておきたいと思います。



前回の資料にアンダーラインを引いて、次の一行がありました。

”聖人の課題→いかにすれば「自他一如」「生死一如」の境地を得、生きていけるか?”

聞きたかったです。今生最後のごご縁を逃してしまったわけです。

まずしなければならないのは”段取り”ですね。









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by e.wash-r | 2016-10-11 23:29 | お聴聞 | Comments(4)
Commented by gizing at 2016-10-12 08:35 x
自明なこととして口にのぼされる、「救い」という言葉。

しかし、これがどういうことなのか、あらためてはっきり
されることを望みます。

お浄土・・・場所ではない。
往生・・・場所の移動ではない。
阿弥陀様・・・存在者ではない。

すべて、事態であり、これを人間の言葉でギリギリ
表現したもの、といただいております。

で、救いとは・・・。
Commented by 釋覺性 at 2016-10-12 16:22 x
SMAPの「世界にひとつだけの花」の歌詞は、阿弥陀経がもとになっているとか?
(青色青光…のあたりでしょうか)
Commented by gizing at 2016-10-15 09:52 x
釋覺性さま

ひところ、くだんの曲が巷を席巻していましたが、僕は
言いようのない違和感を覚えていました。

少なくとも、この歌詞は、人間の側から発するべきものではないでしょう。

耳当たりのよさが仇となって、聴取者が思考停止に陥ることを危惧する次第です。

ご無礼の段、お許し下さい。

Commented by e.wash-r at 2016-10-16 21:46
gizingさま 釋覺性さま

コメントありがとうございます。

アンダーライン付きの一文を見たとき、直感として、どう受け止めていいのか、混乱しました。

何とか理解しようと、レジメを読み直しましたが、スッキリはしませんでした。

その思いから、書いたのが、当logの後半です。

「みんなちがってみんないい」
「もともと特別なonly one」
「青色青光」
「寄り添う」
「救い」
等々。

いずれも、ほとけさまの側のこととして味わう他力の法義と、娑婆の生き方としての道徳・倫理のようなものとは、しっかりと区別をしたいと思っております。

ご指摘の通りのことを、ボクも常々感じております。

ただ、娑婆のことという確信ならば、それはそれで迷いの中のひとつと甘受できなくもないのですが。

余裕のあるときに、本文で述べられたらと思っていることです。


いつも、思いを読んでいただき、よろこんでおります。
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