10月30日、岐阜別院で行われる『ご縁フェス 若者による親鸞聖人750回大遠忌法要』のお斎に用いる平膳の準備をしました。
4座敷200膳、伝統的な報恩講料理のお斎を伝統的なお膳でふるまう、というU師の企画に、大いに賛同。縁あって、当寺の什物であり、ボクの20年来のコレクション?でもある真塗り平膳が、その別院さんのお斎で使ってもらえるという栄を賜りました。
当寺の仏事では、60膳+αほどを回して使っているのですが、こんどの法要では、1座敷50膳を4回転とのこと。椀、膳ともに100セットあるといいということで、椀類は、平素から使い慣れ、数も充分にあり、しかも管理の完璧な正尊寺さん。平膳は不揃いながら数のある当寺からお持ちすることなりました。
前住の月命日のおつとめのあと、100に足りない分の平膳を、倉庫から出して洗いました。
倉庫には、事あるごと買い求めた古い膳椀が積んであります。ガサゴソ探すと、真塗りの平膳は、たぶんまだ数回しか使っていないであろう和紙に包んだ20枚揃いのものから、たぶん偶然◯ンブルで見つけて買っておいた21円の値札の貼ったバラの1枚まで、寄せ集めると50枚ほどありました。
庫裏の台所のシンクにぬるま湯を張って、一枚一枚丁寧に洗いました。当寺での産湯です。
漆器は、傷みやすいし、手入れが面倒だし、とにかく手間のかかるモノ。昔は、家の唯一の家財道具といわれた高価なモノ、仏壇同様、いわゆるローンで求めることができるモノでもあったそうです。しかも専念できる手間がないと扱えないといわれたほど、管理の大変なモノだったとも聞いています。
恵まれて、楽しみながらゆったり作業。
お湯に浸し、水の膜をまとった真塗りのお膳は、うっとりするほどなめらかな黒です。おそらく、濡れた漆の表面は、塗師さんが息を止めて仕上げたときと同じ程の漆黒。耽美な黒です。
その黒に感激しながらの作業。乾くと、傷も目立ち、そこまでの美しさはないので、真塗りの漆黒を味わうのは、勝手方、洗い方の特権だと思いました。あの黒の美しさを見ると、器もまた、間違いなくお荘厳のひとつだという気がしてきます。
ほとけさまを、花や香や光でお飾りする、
金や彩色でお飾りする、
絵や彫刻でお飾りする、
金襴・錦の織物の打敷をかけてお飾りする、
織り込んだ法衣・袈裟でお飾りする、
お供物を設えてお飾りする、
讃嘆でお飾りする、
等々と同じく、たとえば面倒な漆の器でふるまうお手間入りのお斎もまた、同じお荘厳なのだと思うのです。
極めて個人的な好み、趣味の領域なのかもしれませんが、心地よい時を過ごしました。
濡れた真塗りの黒。一見の価値ありです。お斎の準備、後片付けをすれば、見られるかも。
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