美濃四十八座 専琳寺真宗講座 高橋純明師
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専琳寺真宗講座、夜座のお聴聞。ご師は、新潟より高橋純明先生。

昼座は、十八願文のお話だったそうです。夜座は、正像末和讃をご賛題にして、同じくほとけさまの願いのお話。

如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり

先生は、四六時中、ほとけさまのお慈悲をどうお伝えしようかと日暮らししていらっしゃるのではないか、と思えるほど、次々と日常のなかのふつうの出来事からのお話。他力のお取り次ぎでした。


ほとけさまのお慈悲を「親心」にたとえることがあります。ほとけさまを「親さま」とお呼びすることもあります。

極めて猜疑した言説になりますが、ボクは「親心」や「母性」のようなものは、もっとも強い煩悩のひとつだと思っています。広くい開かれたものでないこと、普遍性がないこと、執着の強いものであること等々がその理由です。

ただ、その愛情を受ける側からすると、ほとけさまやお慈悲の譬えとしては”わかりやすいかな”と言うほどが、今までのボクの聞きようでした。

今回、お聴聞して、とてもありがたく受け止めたことがあります。

先生は、「親」の姿のひとつとして、子を思う愛情という視点のほかに、生まれたときから、絶えず、すべてを見続けてきた者という視点をお示しくださいました。法蔵菩薩さまが、五劫という長い覩見と思惟をなさったことに重ねてのお話です。

ありがたく聞かせていただきました。

あらためて、そうだったのかとうなづき、ついでに、今年の報恩講のお初夜のお取り次ぎも少し考えました。


どっぷり、お慈悲に浸った夜。特に最近、ギリギリの時間で過ごしていますが、贅沢な日暮らしとも思っています。

前ご住職の急逝を乗り越えて、淡々とお座を開かれるご住職、お寺の方々の姿勢もまた、励みとさせていただきます。




                    
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by e.wash-r | 2016-11-02 23:42 | お聴聞 | Comments(0)
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