松の幼木  ー伝えるということー 
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netの情報を頼りに、蓮や睡蓮に詳しい園芸屋さんへ行きました。労してたどり着いたのは、畑。しかも、枯れた草の鉢が大量。店舗らしきものは見あたりません。

廃業なさったのかな?というような風景。ハウスに人の気配があったので、のぞいてみると、作業中のおばちゃんが、「冬だから何もないよ。みんな枯れている。」と素っ気なく。

蓮や睡蓮の専門店ではなく、net中心で、ひろく山野草を扱うお店?でした。

せっかく来たので、ひろーい畑を物色しましたが、ほとんど枯れた鉢で、何がなんだかわかりません。

唯一と言っていいほど緑色をした松の鉢。鉢植えだからということもあるのでしょうが、非常に葉の短い****という品種。(名前忘れました)本堂のお華に使えるなあと思いましたが、ずいぶんと高価です。とても買えないと思い周りを見てると、比較にならないほど安い値段の同じような松の鉢。

どう見ても同じ松だと思い、おばちゃんに聞いてみると、「それはモミジ。」と。確かに値札には『イロハモミジ』とあります。「松も一緒に植わっているけど、それはモミジだからその値段でいいよ。」という不思議な回答。

『****という松が寄生した「イロハモミジ」』を買いました。



境内か裏山に植えたら、何十年か後には、本堂の仏華に使えるようになるかもしれません。ボクは生きていないような気がしますが。

モノを伝えても、モノを生かす人がいなくては、『伝える』ということにはなりません。


モノと人、両方で『伝える』ということなんだなあと、しみじみ思った次第。
松を植えたら、松を生かすこと(松の使い方)も引き継がないと、と思う次第。




                    
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by e.wash-r | 2017-01-25 23:40 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
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