もがいてます

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学生時代、よく勉強(研究)したとは言えませんが、S先生からフィールドワークということは叩き込まれました。

動いてかせぐこと、現場主義であること、自前のデータを用いること等々、今も大切にしています。

だから、現場のある人、経験で語る人、勉強している人を尊敬しています。

そういう意味では、身近にたくさんの尊敬する人がみえ、師と仰ぐ人が何人もあることはありがたいことだと思っています。

(かっこよく書きすぎかも)

そのなかの、S師と釋S師ことMくんと、ちょっとコアな旅をしました。

旅の終わりに、Mくんが呟いたふたつの疑問が、ずーっと気になっています。

覚如上人が、確固たる意図を持って『御伝鈔』を著述されたことを前提に、

・なぜ、「箱根霊告」「熊野霊告」なのか?(鹿島神宮参拝、善光寺参拝ではないのはなぜか?)

・「熊野霊告」は、親鸞聖人のことば「そのことなり」で結ばれる。『御伝鈔』中、実質的に親鸞聖人の最後の話しことば「そのことなり」の意味は?(文脈から、指示語「その」は何を指すのか?)

この問いを聞き、ボクのなかに何もないことに愕然としました。全く何も答えられませんでした。

Mくんの「若林先生の『熊野霊告』の段を聞いてみたい。」という言葉に激しく同意するのが精一杯。

若林先生に期待しつつ、ボクなりに、問題意識を持って『御伝鈔』を眺める日が続いています。

ちょっともがいて、独善的にまとまったら、またご報告します。






by e.wash-r | 2017-03-14 23:01 | おまいりにて | Comments(2)
Commented by namo at 2017-03-15 11:46 x
現生利益和讃にも  南無阿弥陀仏をとなうれば  堅牢地祇は尊敬す
かげとかたちとのごとくにて よるひるつねにまもるなり ・・・・
まして、熊野権現の本体は 阿弥陀如来なのです。
私たち衆生を 救うために、この 日本に 出現されたのです。
何も畏れる必要はなかったでしょう。 
やはり南無阿弥陀仏ですよね。・・・
  といった意味でしょうか。
Commented by e.wash-r at 2017-03-20 01:32
ボクは、もう少しシンプルかつ大胆にまとめて受け止めるのはどうかなあと、と思っています。

お彼岸が終わったら、思いをまとめてみようと思っています。そのときは、このblogに上げるつもりです。

いつも、ありがとうございます。
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