平和の鐘 -7月9日 岐阜空襲の日-
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岐阜市と仏教会の提唱で、毎年岐阜空襲のあった7月9日は、朝の9時に梵鐘を鳴らします。

仏教会が提唱した「お経を習いましょう」という夏休みのこどものお経教室とともに、「平和の鐘」として定着した行事です。

ご門徒さん、市民の方々といっしょに、丁寧に続けてきた有り難い行事だと思っています。


平和とは何か、戦争とは何だったのか、少し思いを巡らし、鐘を撞きました。


最近ながれてきた中で、気になったもの。終戦時、6歳だった老人の話です。

あの時は小さかったから日本が何と戦ってるか理解できてなかった。
皆敵が来た、敵が来たとしか言わなかったし、山の向こうは真っ赤に燃えてるから、とてつもなく恐ろしい怪物なのだと。
まさか人間と戦ってたとは。



当寺の梵鐘には、

寄進 門徒中
昭和二十二年九月

と刻まれています。

終戦のたった二年後です。困難の中での鋳造だったに違いありません。普通に集会鐘の鳴る日常を求められたのだと受け止めています。


7月9日は、次女の誕生日でもあります。

お祝いに、平和の鐘をひとつ余分に撞きました。正確には、途中でいくつ撞いたかわからなくなってしまったので、足りないよりはいいだろうと思って、10声よりは確実に多くなるように撞きました。

今年の平和の鐘は、12~15声くらい。

蒸し暑いですが、穏やかな日和です。時空限定の小さな小さな平和ですが。



                    
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by e.wash-r | 2017-07-10 19:43 | 智慧と慈悲 | Comments(0)
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