暇ということにしてしまえばいい
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20年前



土砂降りの中、こどもの同級生のお母さんが来訪。

用はすぐ済みましたが、しばらく雨宿りしてもらうことに。「今日は、暇なんですか?」と言われ、ふたつほど予定はあったのですが、こういう機会もそうないだろうと思って、「暇です。」と答え、コーヒーを入れて、しばらく話し込みました。

懐かしい話、こどもたちのことに加え、親の話とか、郷里の話とか。

話し込んでいて思ったのですが、ボクたちは、少なくともボクは、意外と人と話す機会が少ないということ。

坊主なので、おまいり先で込み入った話になることは多々。そこまでいいの、ということもしばしば。でも、そのとき、ボクはたぶん緊張しています。悪く言えば振る舞っているし、ひいき目で言えばつとめています。

それは大切なこととした上で、そういう会話ではなくて、普通の会話。

ごく親しい友人・知人をのぞけば、立場を超えて、誰かと忌憚なくゆっくり話すことは、実は、ほとんどないのではないかと思ったわけです。

世間においては、苦手な方とも深く頻繁に関わっているのに。


そんな風に思ったので、午後のおまいりは、「暇なのでおまいりに来ました。」という気分で。

でも、やっぱり、時間を気にしてしまいました。

最後のおまいり。疲れてきたし、はやく帰りたかったのですが、「ボクはもう暇になったんだから」と自分に言い聞かせ、なんとなくいつもより長居。ただ、それだけでしたが。


結論は「暇は必要」ということ、のような気がします。




                    
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by e.wash-r | 2017-07-10 22:55 | 遊びをせんとや生れけむ | Comments(0)
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