夏休み、お寺に来たこどもたちに、真っ向からお伝えしたつもりのほとけさまのお慈悲のお話ふたつ。
(坊守は、伝わってない、と言っていますが)
再度まとめなおして、彼岸会でお取り次ぎ。実は、彼岸会までに、法話原稿としてまとめるつもりでしたが、時間切れ。活字にするのは、そのうちということにして、概要。
1、何のために生まれて、何のために生きるのか?
”何のために生まれて、何のために生きるのか?”
そんなこと言われたら困りませんか?・・・というお話。
やなせたかしさんが「アンパンマン」を通してこどもたちに伝えたかった”愛と勇気”ということの否定ではありません。大人からこどもたちへのメッセージだから、それはそれでいいのです。
翻って、自問したときどうなの?、今の自分に問われたらどうなの?ということ。
ほとけさまは、迷いの衆生に”何のために生まれて、何のために生きるのか?”とおっしゃるだろうかということ。
ほとけさまの慈悲とは、というお話。
2、母の願い、ほとけさまの願い
古来、仏さまのことを親さまと言い習わしています。
子を思う母の心にたとえ・・・。
ところで、その母が、常に怒るのなぜ?
ほとけさまのまなざしは、常に慈しみにあふれているのに・・・。
母の願いは分別。我が子の自立。
ほとけさまは一如。すべてがわがひとり子。
ではなぜ、慈悲のほとけさまを親さまと呼び慣わすか?
母は、子のいかなる自立も受け入れるから、ということ、かな。
ほとけさまの慈悲とは、というお話。
おとけさまの賛嘆。そういう言い方がいいのかどうかわかりませんが、うれしいですよね。
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