妙圓寺真宗講座夜座のお聴聞。
ちょっとトラブルがあり、ちょっと遅刻して、お勤め中の本堂へ。声のいいご住職の調声で高らかな正信偈。夜座は、比較的若い方が多く、夜座特有の雰囲気です。
お聴聞の方々とキャッチボールを繰り返しながら。快調なテンポで宏林先生のお取り次ぎがはじまりました。
お座のはじまる前、当寺ご門徒のMさんがお聴聞に来ていらっしゃることに気が付きました。休憩時間にご挨拶をすると・・・。
家族で親交のあった最も仲のいいご友人が、長い闘病生活を経てご往生なさったそうです。ご友人は、葬儀はしなくていいとまでおっしゃっていたそうですが、Mさんは、それは残った家族と自分が考えること、とご家族をたすけて葬儀を仕切られ、今、七日七日のおつとめにもおまいりしていらっしゃるとのことでした。
自宅で看病していらっしゃった奥さんの涙の乾くときがないことを、娘さんから聞いたMさんは、ご友人の奥さんをお聴聞に誘われたのでした。
客観的に書く(見る)ことではないのですが、宏林先生が、ある時から、Mさんとご友人の奥さんの方に語りかけるようにお話しされはじめました。Mさんたちの状況を知るボクから見ると、あきらかに宏林先生は、何か特別なものを察知してお話しをされているように見えました。まさに今、苦悩の現実の渦中にいるもの(それは実はボク自身のことでもあり、すべてのお聴聞の方々でもあるのですが)へのお取り次ぎ。
Mさんたちが、どのように聞かれたか知ることはできませんが、少なくともボクは、ほとけさまのお慈悲のお話しを聞かせていただきました。
こういう聞き方は横柄なのかもしれません。でも、なんとなくMさんたちの気持ちで聞いたお取り次ぎでした。
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