学生のとき、何度も『歎異抄研究会』と名乗る人たちから声をかけられました。学内の、おそらくほとんどの学生が、ボク同様に声をかけられていたと思います。
突然、人生について問いかけられたりするのですから、ほとんどの学生は、できるなら話しかけて欲しくないと思っていたと思います。多くの学生が、彼らを『タンニショー』(のヤツら)と呼んで揶揄し、避けていたというのが実状だったように思います。
ほんの数日前、Y氏から聞いたのですが、『歎異抄研究会』は『親鸞会』の方々なのだそうです。
『歎異抄研究会』についても、『親鸞会』についても、特に何かを知っているわけでなく、何か思いがあるわけでもありません。ただ、本願寺の坊主としては、「親鸞」聖人や「歎異抄」の名を冠しているだけに、なんとなく、気になってはいます。
過日、S師と、蓮如上人が北陸教化の拠点にした寺院のひとつ、伏木の勝興寺を訪ねました。続いて、興味本位で、新しくなったという『親鸞会』の親鸞会館を見に行きました。
法会があったのか研修会があったのか、参拝者が一斉に帰られるときに重なりました。
会館のエントランスから、意気揚々と次々に出てくる若い信者の方々。
同じく親鸞聖人を祖師と仰ぐ我が教団には、見ることができない光景でした。
愕然としました。
6月の「黄鐘会夏座」のご講師・三木照国先生の著書を知りたかったので、netで検索していたら、たまたま、下記のような一文に出遭いました。
横山真佳氏ら毎日新聞社特別報道部宗教取材班が編集した『宗教を現代に問う1』(毎日新聞社、1976年)では、「反乱……異端か、改革か」という項を設け、新宗教団体として親鸞会を紹介しています。
本願寺がどんなに呼びかけても振り向いてくれない若ものを親鸞会はつかまえているのだ。(168頁)
と述べ、本願寺の三木照国氏のレポートの引用で文章を締めくくっています。
ちなみに、その日、その光景を見たS師のことばも、三木先生の引用文と同じでした。
本題とは別ですが、ハイエースのグランドキャビン、いいなあ。
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
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