遅い雪が降りました。3月になって3度目の薄い薄い雪化粧です。
K村の方々が、朝から吹き流し用の竿を立てる予定をしてみえたのですが、延期。時間が空いたので、風呂を沸かし身体を温めながら、淡々と髪の毛を刈りました。
すっきり坊主頭になった後は、昨日の会議を受け、淡々と事務仕事。
片付かなかった分は、坊守に任せ、おまいりに。
おじょうはんの他のおまいりも重なり、いつもより窮屈な予定で、夜まで。
急いでいると、やはり、淡々としたおまいりになってしまいます。申し訳ないなあと思いつつ、そそくさと話を切り上げては、次のお宅へ向かいました。
「淡い」ということばには、「うすい」とか「ほのか」とか「かすか」とかの意味の他に、「執着がない」とか「軽薄」という意味もあるそうです。
「執着がない」と「軽薄」は、なかなか微妙な関係だと思います。
淡々とした日暮らし。
現実的には、「執着がない」ということはあり得ないわけで、そういう意味では、「軽薄」な一日が過ぎていったということなのかなあなどと、淡々と考えています。
たまにはギラギラとした欲望にまみれて、真っ向勝負の「執着」をしないとなあ。
要するに、たまには、遊びたいいいいいいいー。
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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