シェルパとは、
ネパールの高地少数民族の名前です。
このシェルパ族は、ヒマラヤ登山の歴史の中で、ポーター・ガイドとしての重要な役割を果たしてきました。今では、シェルパ族に限らず、ヒマラヤの現地登山ガイド等を表す一般名称として「シェルパ」とうことばは定着しています。
1953年、
イギリス隊のニュージーランド人、エドモンド・ヒラリーとともにエベレスト初登頂を果たしたシェルパがテンジン・ノルゲイです。
エベレスト初登頂以降、テンジンは、過去を語らなかったといわれています。
インドのダージリンでシェルパとなったテンジンは、自身が"
インド人であるか、
ネパール出身であるか"という問題が、両国にあらぬ混乱を引き起こす引き金となることを危惧し、過去を封印したのだろうというのが定説でした。
そのテンジン・ノルゲイ、実は
チベット人であったといわれています。過去を語らなかった理由が、そこにもあったらしいのです。
根深誠著『シェルパ -ヒマラヤの栄光と死-』によると、テンジンは、エベレストの東麓、チベットのカルタ(ハルタ)渓谷の出身です。同書より、テンジン・ノルゲイの息子ジャムリンテンジン・ノルゲイのエベレスト登頂の記述を引用させていただきます。
ジャムリン・テンジンは生粋の登山家ではない。それ以前、山などほとんど登ったことがなかった。では、なぜエヴェレストに登ったのか。幼少時代からエヴェレスト初登頂の話を父に聞かされ、いつか自分も登ってみたいと"夢"に見ていた、というのがその理由である。
わたしは、夕食会に招待されたとき、エヴェレスト登山のスライドを見せていただいた。山頂に立つジャムリン・テンジンの姿は、インド国旗・イギリス国旗・国連旗・ネパール国旗をくくりつけたピッケルを右手で掲げる四十三年前の、父テンジン・ノルゲイの有名なあの写真とそっくりだ。父の姿勢をまねたのである。ちがっているのは、格段の進歩を遂げた装備をまとっていること、ピッケルにくくりつけた小旗にチベットの旗がひとつふえていた点だ。
ジャムリンテンジンは家族の写真といっしょに第十四世ダライ・ラマ法王の写真も山頂に埋めた。・・・
エベレストに初登頂したテンジン・ノルゲイは、山頂で、イギリスとインドとネパールの国旗を掲げましたが、チベットの国旗を揚げることはありませんでした。
最高峰エベレスト、チベット語でチョモランマは、登山家を魅了するばかりでなく、政争の舞台でもあったわけです。
いまだチベットはその政争の中にあります。
昨夜、西蔵鉄道が開通し観光化が進むラサの町を描いたNHKのドキュメンタリーを見ました。チベットでは、チャイニーズとチベタンの軋轢が生じているようです。文化の衝突のようにも見えました。
チベット国旗の黄色の縁取りは、『仏教がすべての場所で永遠に栄える』ことを象徴していると言います。
仏法弘まれ 世の中安穏なれ
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『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
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