◆ 青空文庫『
裸の王様』
Checkmate by nerdvin
我が家の娘たちは、無条件に「くうちゃん」が大好きである。
話題の『1月29日深夜に放送されたニッポン放送「オールナイトニッポン」での倖田來未の"羊水"発言』関連記事を読み、YouTubeで発言内容を確認したうえで、娘たちに質問をした。
「倖田來未の"羊水"発言どう思う?」
小6の次女は、なんでそんな質問をするの?という困り果てた顔で、「わからん」と言った。
高3の長女は、険しい顔をして質問には答えなかった。
黙ったままの長女の様子を見て、坊守が横から言った。たぶん、娘たちの複雑な感情をかばったつもりだと思う。
「そんなん、バカなこと言ったなあって思っとるだけ。質問の意図がワカランわ!。」
こうなっては、会話はこれ以上続かない。確かに質問の意図がわかっていないと思った。ボクの問いは、娘たちにとって、何の意味もないものに成り下がった。
ボクは、娘たちが、倖田來未の発言について答えるのがイヤだろうと思って質問をした。
たぶん、あの発言が倖田來未のものでなかったら、彼女たちは、自分の意見を言うだろう。しかし、倖田來未の発言に対しては、言葉を選ぶだろうとと思ったのだ。
「倖田來未」を丸ごと支持している以上、負の要素は受け入れ難いのだと思う。ボクは、彼女たちと「倖田來未」は、そういう関係だと思う。彼女たちにとって、「倖田來未」は、まさしくアイドル=idol=偶像だ。
もはや「倖田來未」自身の個性を越えてしまったavexの「倖田來未」。彼女たちがその偶像の前で思考停止しているとしたら、ボクはそれを憂う。
例えば「歌」と「歌いっぷり」と「ファッション」と「倖田來未」は一致しなくてもいい。ただ「倖田來未」のイイと思うところをイイと思い、好きな部分を好きになればいい。
アンデルセン童話において、小さな子どもは、目の前の裸の王さまに向かって「王さま、はだかだよ。」と言う。見えないものを「見えない」と言う。
しかし、王様は見えない布を美しいと褒めた。家臣や町の大人たちはありもしない王様の衣装を讃えた。欲望と自尊心が、見えないものを「見えない」と言えない状況をつくりだした。
娘たちを見て思う。
自らの感性で語っているだろうか。偶像をまとってはいないだろうか。見えないものを「見えない」と言えているだろうか。
裸なのは王様だけではない。今の時代、こどもたちも裸だ。
「ぴっかぴかの新しい服が大好きな王様」同様、こどもたちの世界も魅力的なマーケットなのだ。こどもの欲望と自尊心が煽られている時代だと思う。
結果的に、ボクもこどもたちを煽ってきた。
・・・こども自身に期待しよう。
【
1年前の今日のblog 】
【
2年前の今日のblog 】
【
3年前の今日のblog 】
..................................................................................................................
よ う こ そ 『 西 蔵 坊 だ よ り 』 へ
『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
よろしければ、TopPageより、ゆっくりご覧ください。
『西蔵坊だより』TopPage