国語の問題
b0029488_0444020.gif

「煩悩がある以上、差別は起こりうる。」という表現について、先輩F師の話を聞きました。

「煩悩がある以上、差別は起こりうる。」という表現に、主体的な文言を続けてみると、問題の本質が見えてくるように思います。


  煩悩がある以上、差別は起こりうる。しかし、私は差別をしてもよいとは思わない。

  煩悩がある以上、差別は起こりうる。だから、私は差別をしてもよいと思う。 


差別という現象と、差別を否定するか肯定するかという意思は、基本的に別のことです。


「煩悩がある以上、差別は起こりうる。」と言う表現を、『差別発言』とか『差別を肯定する意見』としか受け取れない人がいるとしたら、国語の勉強をし直した方がいいと思います。



◆交通標識の図は、かつてボクが違反をして捕まったことのあるもの。
 ボクは違反をする可能性があります。しかし違反をしてもいいということではありません。
 論議の余地はないと思いますが・・・。





                    【 1年前の今日のblog
                    【 2年前の今日のblog
                    【 3年前の今日のblog





..................................................................................................................

 よ う こ そ 『 西 蔵 坊 だ よ り 』 へ

b0029488_22514638.gif『西蔵坊だより』は、 森鏡山 正蓮寺の住職の日記です。
仏教のこと、山や川や海のこと、TIBETのこと等、思いつくまま書いています。
よろしければ、TopPageより、ゆっくりご覧ください。

                    『西蔵坊だより』TopPage

by e.wash-r | 2008-03-01 00:42 | 智慧と慈悲 | Comments(4)
Commented by あんこう at 2008-03-02 18:08 x
よく分かる話だなー。
差別について勉強している(ハズの)人が、ニュアンスの違いに鈍感で、なぜか攻撃的、というのが不思議でなりませんでしたが、ネイティブスピーカー同士であっても、国語力の部分で相互理解が阻害されていた訳か。ナルホドね。
Commented by at 2008-03-02 21:19 x
差別をみずからのメシのタネにしている人がいるということです。その人たちを排除できなかったから、いまだに差別が残っています。
それだけのことです。
Commented by あんこう at 2008-03-03 08:38 x
排除ってゆーのは、すこしコワイですね。
所詮、差別は手かえ品かえ存在し続けるのでしょうから、問題は、その残った差別が許容範囲におさまるかどうかと言うことなのだと思います。
彼らの差別性は、身内でごちゃごちゃやっているうちは、うっとうしいですが、まあ、許容範囲にあると思います。追い出そうとすると、却って凶悪化しそうです。
Commented by e.wash-r at 2008-03-03 13:29
たとえば「煩悩がある以上、差別は起こりうる。」という状況にあるボクに向けられた慈悲。

そこをはずしたら、お念仏にならないですよね。



ボクたちは、先に自分の強い思い(特にそれが科学・正義・倫理・道徳などに支配されている場合)があると、ついついお慈悲を二の次にしながら、ときに得手勝手に利用さえしてしまうコワサを持っているんだと思います。

干渉しない慈悲なのにね。


意図を感じ取ってくださったご意見、ありがとうございました。


「あんこう」さま、「?」さま
<< 危機一髪! 卒業式の思い出 >>