チベットと日本
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20世紀初頭、世界(西欧諸国、ロシア、そして日本)は、当時鎖国中だったチベットとの関係を模索してました。

例えば、「さまよえる湖」ロブノールを探検し、楼蘭の発掘をしたスウェーデンの探検家スウェン・ヘディンも、何度もラサをめざしたそうです。しかし、チベットの鎖国は堅固で、ヘディンは禁断の都に近づくこともできなかったと言われています。


当時の鎖国中のチベットに潜行した10人の日本人がいます。

河口慧海が日本人としてはじめてラサに潜入したのが1901年の3月。その9ヶ月後の1901年の12月には、国の「機密金」で外務省の「特命」のもと、成田安輝がラサに入っています。

成田安輝は、明治31年(1898)2月26日付けの上申書で、ダライ・ラマに面会するときに備え、贈呈品のリストを外務省に提示しています。以下その一部。



  達頼喇嘛へ贈呈すべき分

   一、経典    一部  正信偈と称する真宗経典にて大形ならず体裁宜しきもの

   一、袈裟    一着  法王に贈呈するに適当なるもの

   一、服地    一端  法王の着用に適するもの該教は黄色を貴ぶ

   一、水晶数珠 一個  一般に長きもの用ゆ

   一、日本地図 一枚



当時、東西本願寺もチベットとの関係を希求していたようですが、この資料からもその一端が伺えるような気がします。


以上、江本嘉伸著「西蔵漂泊 上・下」を参考にしました。




「高度な自治」を提唱するダライ・ラマ14世の考えとは異なりますが、現在のチベット情勢・中国政府の政策の如何にかかわらず、ボクは利己的に、チベットは独立国であってほしいと思っています。





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by e.wash-r | 2008-04-14 02:07 | Tibet/西蔵 | Comments(0)
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