「平和の鐘」を撞きぞこなって思ったこと
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Sちゃんの誕生日。

岐阜空襲のあった7月9日、岐阜市では午前9時に市内の梵鐘を「平和の鐘」として撞くならいです。法務の関係で9時に撞くのは無理だったので、ボクは勝手に正午に撞くことにしていました。

鐘を撞く直前、ちょっとした暴力沙汰に巻き込まれ、12時を指そうとする時計の針を見ながら、「まあいいか。」と、結局12時に鐘を撞くことも諦めました。

ささやかな「平和の鐘」ですら、口で言うほど簡単じゃないみたいです。

狂気をも包み込むのが慈悲でありますが、その慈悲を見ようともせず拒み続けるのも狂気のすがたです。


あやしさのなか、何よりお聴聞ですね。


   
◆ お聴聞のお誘い    7月11日  第36回正尊寺真宗講座
  




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by e.wash-r | 2008-07-10 00:27 | そらごと、たはごと | Comments(2)
Commented by renge at 2008-07-12 09:25 x
今は亡き父は外地へ出兵した人でした。日本に引き上げて来て、乗ろうとしていた電車が鉄橋上で正面衝突をして多くの方が亡くなりました。もう日本に着いたのだから急ぐことは無いと電車を一本見送ったことで、今わたしがここに居ます。
戦友の亡骸をたくさん担いだこと、死んでしまった人間がとんでもなく重いこと、夏になるとテレビで放映される番組を見ては『○○万歳~!』と言って兵士は死んでいったというナレーションを聞きながら「そんな人は誰もいなかった、みんな<かあちゃ~ん>と言って死んでいったんだ」と涙を流す父でした。
その父が急死したことがきっかけで、阿弥陀さまとのご縁を戴きました
わたしも大切なことを伝えていかなければならない一人なんだなぁと感じています。
Commented by e.wash-r at 2008-07-15 02:19
戦争も平和も何もかもがご縁というのが娑婆なんでしょうね。

仏さまのお慈悲は、戦争であっても平和であってもかわりはありません。
そういうお慈悲の中ですが、戦争より平和がいいですね。

rengeさま
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