2005年 07月 18日 ( 2 )
黄色いカバン、黒いカバン。

               
午後11時、テレホン法話の録音を終え、その後、遅い夕食。そのまま、話し込んでしまいました。今日は昼間、黒野組の日曜学校もあり、書くことも写真もあるのですが、残念ながら、撮影したカメラが手元にありません。

酔っぱらったHくんが、間違えて、ボクのポーチを持って行ってしまいました。ボクのは、黄色のコーデュラナイロン製、Hくんのは、黒い革製です。さすがヨッパライ、見事な間違えようです。



上記の理由で、写真がありません。

今日はこれにて。
by e.wash-r | 2005-07-18 03:44 | そらごと、たはごと | Comments(0)
web法話 『宗教とエコロジー ②』 大垣市・縁覚寺 楠真
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【テキスト版】

 『旧約聖書』の「創世記」によると、神による天地創造の後、人間が神の似姿として創造され、次に人間を取り囲むすべての生き物は、人間に付き従うものとして創造されたと書かれています。ここでは、人間がいわゆる万物の霊長として一番尊く、その他の生き物は人間に支配される関係として自然観が説かれているのです。
 この考え方からすれば、人は自然を征服し思うがままにしても一向に差し支えなく、まさに人間中心主義の自然観といえます。このような考え方から、科学技術の発達がなされ、一方で環境破壊という人類にとって深刻な事態を招いてしまったのです.
 それでは、ユダヤ・キリスト教の教えは環境問題にとって悪い教えなのかというと、そうでもなく新たな考え方も、その教えから導き出しています。
 どういうことかと云うと、神によって自然を支配することを信託された人間には、その責任を負うことによって、自然をより善き姿にしていこうという考え方です。人間は、自然という大切な財産の管理を、神から委託されたのであるから、その責任を努力して果さなければならないのだと、このような考え方から自然環境を大切にしていこうというのです。
 あくまで人間が中心に据えられている事に変わりはないのですが、支配と支配されるものの関係を、共に生きていくという共生の考えに展開して環境問題を解決しようとしているのです。ここにキリスト教徒の生活実践が導き出されています。時代と社会状況に対応するキリスト教の努力に、私たちも学ぶところがあるように思います。
 次回は、東洋的な思想を背景にしながら、日本人の自然観を環境問題に照らして考えてみたいと思います。


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by e.wash-r | 2005-07-18 00:01 | Web法話 | Comments(0)