2005年 07月 25日 ( 1 )
web法話 『宗教とエコロジー ③』 大垣市・縁覚寺 楠真
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【テキスト版】

私たち日本人は昔から四季折々に花鳥風月を愛でて生活してきました。例えば、西行という歌人は「ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と歌っています。自然を大切にする心は非常に深いものがあったように思います。
 しかし、現在先進国の中でも自然破壊ということに関しては、日本はどの国にも負けないようです。これはいったい、どういうことでしょうか。明治から西洋化を推し進めてきた私たちの生活が問題なのでしょうか。自然と触れ合う私たちの心の有り様に問題があったのでしょうか。このあたりを、少し考えてみたいのです。
 私たち東洋人は、自然の中に豊かな生命観を育ててきました。それは山や川、大きな樹木や大きな岩に、ある種の神聖ないのちの宿りを認めて大切にしてきたのです。例えば、日本古来の神道は、八百万の神として自然そのものを神聖なものとして崇めてきました。この神道のような宗教はアニミズムといって原始宗教に位置付けられますが、環境問題が深刻な現代社会においては、アニミズムは再評価されています。
 環境哲学を提唱されている間瀬啓允という先生は、自然と宗教の関係を次のように語っておられます。「大きないのちに生かされて、私のいのちは生きている。私は生かされて生きているのだ。ああ、ありがたい。いのちについて、このように自覚させるものは、いうまでもなく、宗教である」と。
 西洋に較べて東洋では、そこで育まれてきた宗教によって、より深く自然と人間の関係を親密なものとして認めてきたのでした。次回は仏教と自然のかかわりを共に味わってみましょう。
  

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by e.wash-r | 2005-07-25 00:01 | Web法話 | Comments(0)